ふらふら人生パート2

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何しろ田舎暮らしを知らない自分は、自分の将来の仕事は農業でバンバンなんて考えていたのでした。それも漠然と漠然と、高校の無二の親友が俺は将来ブラジルに移住してバンバンとはしゃいでいたので、それもいいかなと彼に賛同したりして、はしゃいでいたのを今でも覚えています。
 一様受験校でしたので2年生から文化系と理科系にクラスに分けられるのですが何を血迷ったか理科系を選んでしまいました。この辺から軌道が狂い始めるのですが。あのころの平均的家庭のお母さんは、文科系は将来の仕事なし。理科系は何かに引っかかると漠然と思っていたのでした。文科系に進むなんて言えない環境にいたのでした。

 小説を読むのが好きで、司馬遼太郎や城山三郎なんかを暇つぶしに読んでいた時代でした。三島由紀夫が筋トレでガンガンの時代が丁度私の青春時代の真っ最中でした。高校2年の時,割腹自殺をして彼が朽ちた時に、檄を聞いていた自衛官に逆にヤジを飛ばされ、平和に踊らされる日本をそして自衛官を憐れんだのを今でも覚えています。決起を起こす時代が速すぎたと、どこかの評論家がコメントしていたのを、なんでだと首をかしげたことを、今でも昨日のように覚えています。
 学園紛争も終わり、かといって夢を持てる時代でもなく、私の時代は中途半端な野郎たちが妙にはびこる時代だったのかもしれません。ただ人生の第4コーナーを今ひた走る私は、中途半端な時代を駆け抜けた割には、周りのオッチャン達は、妙に寛大だったり、かといって甘いことを考えると足元を力強く払われたりで格好大人たちは、ぼんくらの私たちを見えない何かで、そして彼らだけのルールで、ここまではいいよ、でもここを超えたら世間は許しませんよと、ちゃんと誘導してくれたんだなと感じています。。知らんぷりをしているようで私の周りのオッチャン、オバちゃんはみてたんだなと思います。知らない人の子供が電車の中で騒いでいると急にどこかのおばちゃんが、その子供を黙らせたり、その子の母は素直に謝ったり、何となく世の中がそれなりにうまく回っていたんだなと思います。昭和生まれの感傷と言えばそれまでですが、鶴田浩二の傷だらけの人生、昭和枯れすすきが妙に懐かしくなったりで。
 一つだけ私達の年代の貴重な体験は、バブルのイケイケを経験して、落ち目の時代(バブルの崩壊)もちゃんとみることができたということです。私は、スペインのバブル、スペインがずるずる落ちていく姿も見ています。その時代を潰れることもなく今でも生きてる自分をほめてやりたくなります。結構、文があっちの方向に行っちゃったので、この辺で今日はジャンジャン。

2 Comments

  1. 小野田さんが周りから受けた影響を、さらに小野田さんの周囲のガキ共(70′s後半の自分も含め)にお裾分けして貰ったと思っています。なので、順繰り順繰り文化はめぐっていくのでしょうね。

  2. ゆっくりがいいです。スペインは、フランコの時代の空白を埋めようと躍起になり、昔の良きスペインをみんな消し去ろうとしている時代がありました。スペインンはスペインらしく胸を張ればいいし、日本は、明治、大正、、昭和と名もなき人が日本を愛したそして頑張った事をたまに思い出せばそれでよし。

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