毎年7月を迎えると、何とか今年も、耐えたかなーと一安心するのでした。12月31日は、一年の終わりで、これまた別の意味で身が引き締まります。この7月というのは、ヨーロッパのほとんどの国は、年次の終わりなので、学生さんも、仕事人も何とか耐え忍んだと一安心する季節なのでした。そして長い夏休みが、訪れるのでした。6月の終わりから9月の第2週までが学生さんのホリデイです。
70年代、80年代に海外雄飛を夢見て、ソ連のアエロフロートやシベリア鉄道経由で、何かを求めて、金もないのに、フラフラと性懲りもなく北欧に辿り着き、スウエーデンあたりで、アルバイトをして,フリーセックスなんていう嘘の宣伝に踊らされて、皿洗いをして、お金を貯めて、南に南に南下して、辿り着いたのが、ピレネーを越えるとアフリカの地スペイン、そこの物価の安さと、人の好さに甘えて、浦島太郎の人生の人も、なんやかんやで、リタイヤの季節が来ました。こんな日本人結構多いみたいです。
青年よ荒野を目指せ、安く行くヨーロッパ、何でもかんでも見てやろうとか、もうたくさんのいい加減な本が出版されて、読んでいた時代の真っただ中にいたのが、中途半端な私たちの時代なのでした。三島由紀夫の割腹が、高校2年生だったのは、何故か忘れもしません。
小生は、パリまでの韓国航空の飛行機の券を購入して、パリからは夜行列車があるという事で、計6人が、座れる、一室の空間の一人としてモロッコ人のおじさんおばさんの中に一人日本人が、お邪魔虫で入り込み、暑い、足が臭いの地獄の夜行列車を経験してマドリッドに辿り着いたのでした。
あの頃は、日本円の価値がなく、誠に持って貧乏旅行でしたが、若いのが、金がないのは常識で、ひもじかったけど別に苦とも思わなかったし、むしろ楽しかった感が今でも自分の奥底に残っています。あの頃の一期一会、出会ってはサヨウナラの繰り返しは、結構勉強になったとは思ってますが、いいホテルに泊まって、いい食事をしては、あの頃は思ってなかったですね。苦が楽しかった時代でした。
またバルセロナのランブラスで、針金で、自転車を造ったり、マラガの海岸で収集した石ころをきれいに磨いて、そこにエナメルのペンで、誕生日の星座を漢字で書いて、ペンダントを作って、路上で売っていた、自称ヒッピーさんも、今では、どこでしのいでいるのでしょう。
そんな威勢の良かった長髪の薬草をコンサートで吸っていたおじさんたちも、今では、老人ホームで、スペイン人の小裕福さんと一緒に、お遊戯したりしている時代になりました。
そうです一時代が、確かに終わろうとしています。
また6月いっぱいで、MADRIDの北に位置して、一時代の黄金期を作った、レストラン帝(みかど)が55年の歴史に幕を閉じました。造り(内装)にお金をかけたレストランで、一頃は、スペインの各界の有名人が、ここにくれば、いつでも見られるほどのパパラッチの集合ポイントでもありました。時代の流れの一言で、解決できないほど、走馬灯は尾を引くのでした。武漢ウイリスの2年間に及ぶ大嵐が、トリガーなんですが、やはり時代の流れの一言で、解決しちゃうのがベターなんでしょうか。
今では、外国で暮らしたいなんて考える若者が減って、ワーキングビザで来て、適当にやって適当に時間をつぶす類が多くなって、日本の若者も価値観が変わって、面白くない人間が増えたみたいだけど、人それぞれ勝手にやればいいという考えの小生なので、それはそれでいいとして、アメリカの属国と言われた時代を経て、今度は、中国に乗っ取られるぞーと騒ぐ日本になり。外から見ているとハラハラドキドキ、外から日本を見ていると売国奴の国会議員さんがはびこる世の中、まだまだ感傷につかるのは早すぎるぜ。野次馬根性で、もうちょっと世の中の移り変わりを見届けようと思う今日この頃なのでした。
2025年7月7日
by 小野田
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