義務と思いやり

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 昨年の夏に帰国した時に新幹線を利用して京都に行きました。旅の楽しみのお弁当をkioskでゲットして久しぶりの新幹線です。車内に入りシーンとした雰囲気は、さすが日本です。携帯をかけて迷惑を掛けている人は、皆無です。スペインの電車内で、平気でがなり立てる輩をいつも見ている自分は、さすがの言葉をつぶやきたくなります。

 最も、携帯を使って迷惑も顧みずの人達は、逆に初老の厚顔おばさんやおじさんが多く、若い人は、黙々とテクラを操作しているか音楽を聴いています。この辺は、日本もヨーロッパも同じのようです。南米のお手伝い風のおばさんあたりにさすがにエチケットという言葉がないのか、意味が分からないのか、よく見かける風景でもありますが。
 早速席を見つけて、到着の地までは、何をしようが自由で、もっぱら私は、週刊新潮と文春を買って流し読み、お腹が減れば、駅弁を消化するこれが定番なのでした。日本を出たのが、45年前、その時の習慣が、週刊誌を買って車内の暇時間の解消というパターンで、仕事や学校の帰宅時の電車の使用においても、車内での暇のつぶし方は,ゲンダイかフジという日刊紙を買って、ちょっとお色気の欄を周りの目線を気にしながら、電車に揺られながら、流し読みが、その時の習慣だったので、今でも昔のパターンを実践するおじさんなのでした。さすがに新聞,雑誌の車内読みは、希少価値的存在と日本に帰り電車を使うたびに思うのでした。
 2時間ちょっとの旅で、乗客は、目的地が来て降りるたびに自分のごみをもっていく姿が目立つのでした。ほとんどの人が、そうなのでした。日本では、ごくごく当たり前のことなのかなーと感じるのでしたが、妙に違和感があるのでした。各駅停車時に社内のサービス係が、降りた人のごみをビニール袋をもって車内を歩く、そしてごみ収集、それが、ごくごく普通の行為じゃないのかなと思ったわけです。今の安売りチケットでしのぎを削る飛行機会社はそうですよね。まさか飛行機を降りるときに誰もごみを持ち帰りませんよね。そなことを思ったのでした。
 私が、京都に到着して降りるときに、人と同じことをすればいいのですが、ごみを前にある網袋に放置して降りようとしたわけです。すると隣に座っていたデブおばさんが、ごみを指さして、持っていけサインを出したのでした。サモサモ当たり前のように、妙にカチンときたので、無視して出てきたわけです。きっとそのデブおばさんは、エチケットがない、くそ爺と私を思っていたんだと思います。日本人の常識なのかもしれません。
 しかしこの行為は、義務ではなく、思いやりの心から出る自然の行為なんだと思います。無理に強制するものではなく、逆に強制的な態度で接すると私などのへそ曲がりは、逆の行為をしそうな気がするのでした。
 ここヨーロッパは、仕事の分担制度がはっきりしています。幹部候補生は、マクロの観点で、すべての動きを理解しなければなりませんが、掃除人が掃除をする、これが当たり前のことです。決してほかのセクションの人が、違うセクションの仕事をしようとはしないし、してはいけないのです。医者は医者の仕事、看護師は看護師の仕事があるのです。学校で、生徒が教室の掃除をする習慣はヨーロッパにはありません。掃除は掃除を仕事とするプロがやることになっているのです。課長が、部長が、朝早く来て掃除をしたら掃除係のクレームが来ます。掃除をする課長は立派などとだれも思いません。その辺のメンタル要素が生まれたお国柄に反映するということを理解しないと日本だけで通用することがいっぱいあります。ハンバーガーショップでオートでごみを処理することは常識ですが、スペインでは、この制度の確立がなく置きっぱなしが今でも後を絶ちません。日本での常識は、すがすがしい所があります。思いやりが満載の日本人です。しかし雑なスペイン人にもオーというような思いやりの部分が沢山あります。ドイツのお国柄、フランスのお国柄、すべての国々の常識があります。ワールドカップの日本チームの控室の綺麗さに、いいねを押した人がたくさんいます。いいことです。しかしその綺麗さの意味を理解しない人も世界にはいるということも理解して国際人になるべきです。
各町内のごみの分別、確かに完璧です。しかし日本語を理解できる人の常識です。車内にごみを残さない。よいことです。しかし掃除人のプロの皆様に対しての思いやりであり、決して義務ではありません。この辺の窮屈さが私をスペインに住ませる理由の一つなのかもしれません。ちょっと日本相変わらず窮屈かもね。久しぶりのジャンジャン。

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