ヨーロッパの政治家は爺はいないぞの巻。

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日本は、残暑らしいけど、マドリッドの朝方は、むしろ肌寒い気候になりました。夜も窓を閉め忘れると寒さで起きてしまうぐらいの気持ちよい日々が続いています。ウクライナの諸事情の影響か、電気代やスーパーでの買い物のレシートが気になる感じは確かにすると嫁さんは言っています。自給率の高いスペインでは、いざとなれば、スペイン人は、貧乏生活に慣れているんだから何とかなるだろうと考えるんだけれども、一度上げた消費の桁を下げるのは、確かに難しいので、スペインも苦しむ日々が訪れることは、確かなようです。
 それだって、いざとなればの根性は、したたかで、今ヨーロッパで一番道路が機能的に、そして景観から言っても一番素晴らしいのは、スペインと言われています。イタリアの立ち遅れは、道路や家屋を見れば歴然としています。そこにまたイタリア旅行の面白さがあるんだけれども、きれいさや機能の差は歴然としています。これなどは、、ヨーロッパコミュニティー(EU)の加盟により得たあぶく銭を南スペインの高速道路網にめちゃめちゃつぎ込んだおかげです。
あの頃の首相は、フェリッぺゴンザレスというレジェンドで、社会労働党を率いて、政権を長年維持して経営者側には、大変かわいそうですが労働者の権利を優遇して、スペインを形上、ピレネーを超えるとアフリカのイメージを一掃したのでした。1990年代のバブルの影響もあったのですが、あの頃のスペインは、確かに右肩上がりを実感できました。
すなわち、国は確かに二流でも政治家はしたたかでした。汚職も確かに多かったけれども,EUからお金を分捕ったのも確かにあの頃の政治家のお陰でした。
あの頃は、まだバスク解放戦線(通称エタ)がバスク地方の独立を主張して、テロを頻繁に起こして、何人もの市民が犠牲になりました。あの頃の民衆党の党首であるアスナロ首相が、車に爆弾を仕掛けられて、たまたまその車が、メルセデツの爆弾にも耐えられる特別車だったために助かったというエピソードがあります。そんな時期を通りこして、テロは、停戦したのですが、そのころに逮捕された犯人たちは、刑務所にいるのですが、何百年の刑で服役して、どういう訳か、死刑があるわけでもなく、なんとなく何人、人殺しを仕様が、20年もすると出てきちゃう傾向があります。もうそんな時期に近づいています。その犯人を支持する政党もあるのですから、これも不思議です。ただ私たち日本人は、その西洋史を習っていませんので、何も言えません。その上、現政権は、恩赦の特権を与えようとしているのですから、またまた複雑です。この辺は、非常に難しいので、コメントは避けますが、国が変わると心情もすべてが変わるので、難しい問題です。
日本の場合は、こんな問題は、日常の問題じゃないので、政治家がというようなマスコミに消されてしまいますが、スペインの国民は、弱いサッカーチームのふがいなさを容赦なくたたくように、国民は、またまた口うるさく騒ぐ傾向があります。これなどは、ヨーロッパ人の良い所で、ガキの頃から教育されているので、この辺は、日本人の特に若者のふがいなさとは雲泥の差です。
政治のことを一言付け加えると政治家が実に若いという事です。引き際も早く、たんぱくというか、ひと仕事が終わった政治家は、どこに行ったのやら、日本みたく往生際が、悪いのは、ヨーロッパには、少ないようです。政治家が日本では、70代下手すると80代これは確かに末期的事態です。汚職は確かにありますが、爺様は引っ込むのも早いのは確かですぅ。

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