この投稿文が、丁度500回らしい。雑文をボケ対策の一環として初めて、何年が経過しただろう。一回の投稿文が大体1600字、原稿用紙4枚を目途にしているので、1600文字 × 500回だから結構書き乱れたかもしれません。継続は力。2万時間、患者さんを治療して初めて一人前と、うんちく野郎に言われて14年かかって2万回、患者さんを指圧したのを考えれば、この程度のことは、と思うのですが、親からもらった丈夫な体が、あってこその奇跡で、お袋、親父には、改めて感謝です。
記念すべき今回の雑文、帰国感想文パート2でまとめてみましょう。
実家での居候は。経済的にはグッドなのですが、娘と孫にとっては、ボロボロの古民家如きの実家は、寒くて、不便でしょうがないらしく、鶯谷と上野の中間に位置する入谷にキッチン付きの宿屋、鴬に宿泊を変えました。
旅館鶯(うぐいす)という宿泊施設、最後の最後まで受付には誰もいませんでした。娘が、ネットで探して、玄関と部屋は、クレジットのお金の入金が,okであれば部屋の開閉の暗証番号が届くシステムで、全て携帯で、やり取りするシステムは、娘の世代は難なくクリヤーのようです。ゴミ掃除、敷布の交換は、アジア系の外人が不愛想に仕切っていました。なんとなくオーナーが、日本人ではないような気がしたのですが,恐らく、、、、、、人でしょう。
帰国時に羽田までの交通手段を考えて、東京の下町の、手ごろな旅館を選びました。私の感想としては、子供ずれの日本の旅は、まだまだ改善の余地がありそうです。
しかしちょっとした遠慮気味の日本人の親切は、外国人には身に染みるだろうと思った次第です。
鶯谷と上野の間、誰が命名したのか、奥浅草というんだそうです。言問(こととい)通り、(東京都文京区の東京大学本郷キャンパス前から、台東区の言問橋までを東西に結ぶ都道の通称です。沿線には東京大学のほか、浅草寺などがあり、その名は平安時代の歌人・在原業平の有名な歌に由来します。)を行ったり来たりして3日間を過ごしました。
要は浅草まで徒歩で歩くのですが、普段なら浅草のシンボル仲見世の始まりの大きい提灯からスタートから浅草ツアーが、スタートするのですが、今回は、裏手から入ってゆく感じでした。
浅草六区は相変わらずごちゃごちゃしてましたが、東洋館の隣のパチンコ屋には、朝の10時前という事で、パチンコ依存症の若者が長蛇の列、日雇いぽいのもいたけど、ボーとした若者が、パチンコ屋の開店を待つ姿は、異常な風景でした。対面が、場外馬券売り場、そして沢山の外国人、ドン・キホーテにユニクロとくれば、確かにオールスターの形相でした。
嫁さんは、渋谷派、私は、上野界隈派で、帰国すると上野界隈を本拠地にして買い物などをするのですが、ここ数年の外人さんの数は、想像以上のようです。確かに一頃1ユーロが、120円前後をうろちょろしていた時期がありましたが、今は、1ユーロが170円前後で、完璧な円安です。ユーロ圏の外人は、日本の物価におどろきの連発です。その上、丁寧な接客は、確実に好感度100パーセントです。
その一方で、日本人の親切心を悪利用する外人は、確かにいるだろうなと不安視した次第です。ごく少数なんですが、ひどい奴は、どこにでもいるものです。そんなやつには、日本語でどんどん文句を言えばいいのです。なめられて溜まるかの根性が大切です。
個人的にみるとどういう訳か、スペイン人の旅行者が、妙に目立ちます。スペイン人に聞くと、日本旅行がブームなんだそうです。そんな訳で、イベリア航空は、ほくほくだそうです。
普段はいかないんだけれども、今半のすき焼きランチを堪能、30分待ちも何のその、接客が完璧でした。入谷鬼子母神前のNODAYA さんでウナ重を完食。そのほか妙に携帯からの情報を重視した背景には、携帯情報に毒された娘の影響が、大なのでした。一番嫌いな、並ぶことをして食に食らいつくのも、たまにはいいかと笑顔をもって理解のあるお父さんを演じて見せたこうこうお父さんなのでした。
インバウンド
2025年11月2日 | 0 comments
