断捨離で書き物の整理してたら、若かりし頃の文章が出てきました。なぜスペインくんだりまで来て指圧を始めた訳の分からなさが、今も続くおじさんの、悩み多き昔昔の、自分自身への励ましの文章みたいです。あの頃は、プロフェッショナルの意味を確定できずぬに悩んでいた時期だと思います。今は、力まず、限度の一歩手前で、終わらせる余裕が技に生じ、どうにか自分の心に少しは、謙虚さが、生まれてきたかな-と思っています。
どんな世界でもプロになるのは生半可なことではありません。資格取って一人前なんてのは、ただの幻想に過ぎないことは覚悟しておかないとすぐに潰れます.自身が選んだ世界の技術で,人々に認められ、かつ必要とされて仕事になることの難しさの第一歩が専門学校に行くということなんだと,あの頃は思っていました、。専門学校に入る目的は何ですか。もちろん手に職を持つ、手に職をもって食いっぱぐれがない世界に入り込む。一匹狼で生きてゆく。お山の大将になりたいために専門職の学校に入る。こんな感じが私の時代では一般的でした。
そしてたまたま入った世界が、その人にあっていれば、万々歳で、水を得た魚よろしく、のめりこんでゆく、ここら辺の先行きまで見て進路を決めることができる人は、マー何をやっても成功します。ところが、今の若いの、専門学校を卒業してその世界のちょっと大きな会社に入ってサラリーマン指圧師になって、まあーこれでいいかと、なんとなくやってる卒業生が多いと聞きました。そうなんだー、その上、親が学費を面倒見る若いお兄さん、お姉さんが、多いとも聞きました。それじゃ勉強しないなと合点したのでした。
私の世界は、もちろん地味な世界ですが、よく言われるのがこの世界、大金持ちにはなれないけど、乞食にもならない。こんな感じで揶揄されているのが私達指圧の世界です。何年か我慢してやっているとなんとなく患者さんがついてやっていけるのがこの業界です。ただ少なくても3年は我慢しなくちゃ患者さんはついてきません。要するに3年間は赤字でもどうにかやっていけるお金を確保しておきなさいということです。
こんな時に、じたばたする奴はマー失敗しますね。一発で痛みを取るテクニックの講習会、2日間10万円、安すぎてもダメ、高すぎてもダメ。専門学校卒業したての、お兄ちゃん、お姉ちゃん、この手がセミナー屋の餌食になるのです。
治療して稼ぐより、セミナー開いて御託を並べた方が実はもうかります。当の私だって見習い時代、ずいぶんそんなセミナーに投資しました。帰国しては、そんなセミナーに出て、なけなしのお金をずいぶん分もぎ取られた経験があります。今考えるとすべて勉強です。肥やしと思えば安いものです。最終的には、指圧という柱がありましたので、ぶれなかったのが良かったのかもしれません。
どんな世界でもやはりプロとして生き抜くには、運もあるし、その運の中で人との出会いがあります。運が良い人は、やはりラッキーなんでしょうね。同僚であったり、師匠であったり、本物がそばにいるとやはりブレが少ないので、その辺の運を呼び込めた人は、ラッキーな人といえます。
サラリーマンに縁遠い人が、専門学校に通う。そして生き抜くノウハウを勉強する。これが専門学校の強みのはずです。医学部に入って卒業した翌日から医者として食べれるなんて誰も思っていません。調理人も調理学校を出て、すぐに使えるなんて誰も思っちゃいません。ジャーなぜ専門学校に行くんだい。それはね、自分があこがれた職種が自分に合っているか見極めに行くのです。あってないと思えばすぐに我慢などせずに違う世界を見つけるべきなのです。
この世界でやっていけると思ったら、好きだったら何の苦もありません。その辺の見極めがつかないから中途半端な野郎が増えるのです。中途半端な奴が業界を下方に引っ張るのです。半端な野郎が一番たちが悪いのはどこの世界でも同じです。専門学校で基本のイロハを学べれば、それでよしも一理ありといったら語弊があるのでしょうか。
浅く学んで、浅くそれなりに生きる。それも人生です。帝国ホテルのコック長、これもこれもよし。駅前の量で勝負する一杯そばや、それもよし。自分の人生、生き方に筋を通せば。全てOK.
こんな文章が残っていました。悩める時期にプロになる分岐点にいた自分への励ましの文章です。しないでいられないことをし続けなさいと漫画家の水木茂先生が言ってます。結局は、この言葉にに尽きるようです。
過去のこの日