消えゆく俺たちのカリスマたち

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何やかんだで、在西35年を迎えることになりました。84年に大韓航空で、パリまでたどり着き、そこから夜行列車でマドリッドにたどり着くという、貧乏旅行の定番でスペインに来たのでした。一応の人生の定番メニューも消化してここまで来たのでした。子供2人も勝手にアパート借りてやってるし、そこそこの恋人もいるとのことで、勝手にやればのモードを流して、お袋が、20年ほどかけてくれた国民年金も、65以降46000円毎月私の口座に、自動的入るということで、日本に一時帰国した時の、お小遣いになるぞとちょっと微笑みのおじさんなのでした。いやいや、ここで仕事を辞めたらちょっと早いぞ。いやいや動けるうちにバンバン旅行してエンジョイして金なんか子供に一銭も残すかなんて息がってみたり、試行錯誤の今日この頃なのでした。

 そんなある日に流れてきたのが,ショウケンの死亡記事、わたくしたちの年代には,ショウケンこと萩原健一の死は、やはりインパクトが大きいのでした。グループサウンドの全盛時にしゃしゃり出たテンプターズのボーカリスト、のちに、傷だらけの天使、太陽にほえろ、前略お袋様、この辺の時代をのしのし歩いた年代のおじさん、おばさんは、やはり気になるショウケンなのでした。
 ショウケンの実家が、大宮の隣の与野という町で、こ汚い落書きまみれの実家を見に行ったことがありました。あの生意気そうな、それでいて何か寂しそうな一面を持ったショウケンは、素人の私が見ても、あんな感じは、おなごに持てるんだろうなーとビンビン感じる、そんなカリスマ性を持った俳優だったと思います。
 波乱万丈そうに見えても、あんな人って、結構まじめな人が多いようです。長く一つの世界で光を浴びている人って、根はみんな真面目なんです。真面目じゃなければ、とっくに消えているんです。矢沢のえいちゃんなんて、超まじめ。何しろあんな感じの人は、自分を持っているんです。柱があるんです。しないでいられないことをし続けなさいと、水木しげるは言ってましたが、あのタイプなんだと思います。
 人生を突っ張り続ける事は、かなりのエネルギーを消費します。それをやり遂げて逝ったんだから、偉いの一言で、心でお念仏を唱えて合唱です。こんな時にしゃしゃり出て、さも俺は、仲が良かったモードを出して語る似非友達がいますが、あれも滑稽で生きざまをさらして本音を出して面白いですよね。
 内田裕也なんか、あっという間に逝っちゃったけど、結構いい奴という雰囲気を滲み出してたから、最後は、やっぱり性格のいい奴が残るんだなーとの結論に達したのでした。
 それにしても、内田裕也と松山千春はYouTubeで流れる遊侠団体様のお祝会の動画での招待客のごあいさつで必ず出てくる芸能人NO1なんですね。堂々と出て、やくざさんと戯れるあんな人たち、世間は許さないといっても、浮世の義理と人情は、大事です。ビッグな人は、みんなりっっぱな人が多いものです。私は、わかっていても辞められないタイプ結構好きですね。
お笑い出身タレントのブロイラーたちの立ち位置のみじめさに比べたら、やっぱり生き様を本音でさらす人たちを私は、こよなく愛したいですね。とんねるずのやんちゃ騒ぎ、好きですねー。消えゆくヒーロー黙って見つめて黙祷を捧げるしかないのかなー、今の世の中は。

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