ミスター指圧逝く パート1

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ヨーロッパの指圧の世界では、超有名なボス、イタリア ローマのアルベルトポリドリ先生が、お亡くなりになりました。2020年2月18日の夜中でした。

昨年の冬あたりから気になっていなんですが、喉頭癌ということで、放射線治療の後遺症でしょうか、真っ赤に焼けただれた左の側頚部が痛々しく、それでも6月の私のローマ大会、11月の日本セミナー、そして今年のリスボンの大会にまで沢山のお弟子さんを連れて駆けつけてくれました。リスボン大会は、2月の15日16日の開催でしたが、明らかに痩せて気力だけで、生きている感じの形相でした。それでも約20人のお弟子さんを引き連れて駆けつけてくれました。

側頚部の患部は、ガーゼで覆われているのですが、その部分から流れてくる、思わず顔を背けたくなるほどの妙に生臭い臭いを今でも覚えています。。おそらく抗生物質の類のクリームを塗っているのだろうと思われます。そんな体のコンデションにおいても、ひょうひょうと渡された1時間半の講師としての仕事を、完ぺきに遂行して思わず、私たちをうなずかせたことは言うまでもありませんでした。指圧のレクチャーになると彼は、別人になるのでした。指圧好き好き人間なのでした。

会場はリスボンといっても首都から車で30分の所にあるCASUCAISUという海岸リゾート地です。ローマからリスボンまで飛行機できたとは、いいながら、ガン末期の人間が、車いすで来てくれました。医者に言ったら冗談でしょと怒られそうなことをしてまで、来てくれたポリドリ先生、本当にスタッフ一同、涙をこらえるために頭を下げながら目礼したのを今でも覚えています。

彼とは、何やかやで30年間お付き合いさせていただきました。歴代のイタリアの首相を指圧をして、イタリアに指圧ブームを起こしたのは彼の功績でした。今2万人の指圧関係の人(税金を払っている指圧師)が公式にイタリアに存在しますが、彼らをぼろくそにいうのもポリドリ先生の仕事だし、彼はまさに一匹狼の存在で自分の軍団をもって、浪越指圧を長年ヨーロッパに普及してくれました。

まず妥協を全く許さない人柄で、政治的配慮がないために随分、他の団体ともめたような気がします。それでも実力がありますので、生き残るすべは、持っていた実力派でした。

どういう訳か、自分とは気が合い、浪越指圧ヨーロッパの彦左衛門として、ずいぶん私に知恵を貸してくれました。私も、どちらかというと、思いついたら即実行のほうですので、ぶつかることも、よくあるのですが、その辺の所をお互い気に入っていたんだろうと思います。30年間、彼と私は杯を交わした兄弟と同じで,ずいぶんと無理を承知で、私のために動いてくれたことは言うまでもありません。

この指圧の世界も魑魅魍魎で、いろんな人が、いろんなグループが私に近寄ってきては、おいしそうな話をささやきかけたり、お世辞バンバンで私を利用しようとした輩が何十人といましたが、彼は、30年という長きにわたり、一回も私たちを裏切ったこともなく,もちろんがっかりさせられたこともありませんでした。イタリアのマフィア同士の付き合い方とは、こんな付き合いなのかなーと今でも思う付き合い方をさせていただきました。指圧界の大のアミーゴだったことは誰もが認めることでした。

指圧の奉仕団体として協会を作り、国から奉仕をする治療所を貸していただき、長年にわたり主に身体障碍者を週2回、生徒さんやOBの方々が、無料で治療をして指圧を医療の一環として位置づけさせてきたのはまさしく彼らの仕事でした。

徳治郎先生との付き合いも彼の指圧の歴史と一致して、晩年の徳治郎先生が指圧グループの大将として世界の国々、カナダやペルー、そしてアルゼンチンなどを歴訪した時も彼は、ヨーロッパから欠かさず参加しました。徳治郎先生の追っかけで、またかわいがられた一人だったことも事実です。徳治郎先生亡き後も彼は、浪越浪越といい続け、浪越指圧を世界に普及し続けたことは、下手な日本人よりもっと純粋だったように思われます。まさにミスター指圧男でした。

One Comment

  1. ポリドリ先生、昨年お会いできて光栄でした。
    溢れ出る指圧への情熱を体感できたことは私にとって財産です。
    ご冥福をお祈りします。合掌

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