三十何年前、私は、この手技療法の世界に入りました。おふくろが、22才まで勉強させてもらって、なんでおめくらさん(盲目者)の仕事をしなくちゃならないのと、うちの姉貴に私が日本から去った後、お茶を飲むたび、しきりに愚痴っていたとのことを、だいぶ後になって聞かされました。あのころは、指圧、マッサージなんて世間様は、この程度の認識の人が大部分でした。
盲目者救済のための職業、この歴史が長く続き、イメージ的に日本には少なくてもHAPPYなイメージ感はありません。その点、この業界を浪越徳治郎先生がテレビ出演して一気に指圧のイメージをあの笑いで払しょくさせた事は大躍進だったわけです。それでもおふくろが嘆いた時期は、桂小金治のアフタヌーンショーが終了して、だいぶ後ですから、御年配の人は相変わらず按摩もマッサージも指圧も、その程度の仕事と思っている人が、実際は大半なはずです。
私は、この世界(手当て)の未来は、これからどんどんコンピューターが発達すれば、必ずあるとその当時から思っていました。こんな訳で、この世界が何十年後かに脚光を浴びるであろうと当時からそんな希望を持っていた一人です。しかし日本人がこのマイナスのイメージを引きずり続ける限り業界脚光の道は時間が掛かるな、とも思っていましたが。
しかし私自身は日本でやる気は全くなかったので指圧学校在学当時から、学校は朝、昼から治療院の見習い、夜はスペイン語のアカデミー、このパターンは在学中変わらなかったですね。たまたま、一年生が終わるころ、解剖や生理学が、どんどん頭に入り、実技も飽きが来なかったので、これは俺の適職だと確信したことがヤル気に油を注ぎました。
在学中の日曜日は、三浦寛先生の操体法の講座に顔を出しました。顔を出したどころか今の私の指圧理論は、操体法の連動の動きでバランスをとる教えを練りに練ったもので、操体の三浦先生の教えは私の指圧理論のバイブルになっています。またカイロの学校にも、お世話になり、この時知り合ったオステの平塚先生には、今なお、お付き合いさせてもらって、帰国してお会いするたびに指圧理論のヒントを、沢山もらっております。また日本指圧専門学校在学中、これでもかこれでもかと浪越の基本の反復をさせられたことが、どれだけプラスになっているかと感謝しております。確かに外国には、指圧の歴史がない代わりに指圧の偏見もありません。痛みを取ることに集中して、技を開発して、ここまで来ました。慰安や癒しの世界は、ほかの手技に任せて、痛みを取るイコール指圧と実績を積み重ねてきたのが指圧をスペインに根付かせた要因と考えています。
伝統は忠実に守り、進化させてゆく、この言葉を各手技療法の世界でご活躍される先生方にいただき、指圧をエビデンスの世界に納める工夫と努力をしてレベルの向上を心がけてきました。
結論
この世界(手当て)は寄生虫よろしく、文明が発達すればするほど、それに並行してニーズが飛躍的に増大します。コンピューターに侵略された人間の脳みそは飽和状態です。こんな時代は西洋医学と東洋医学の境界線がなくなり、手技療法がきっと救世主になるはずです。ゴキブリの如く、手技療法の世界は生き残るのです。そんな未来を信じて、次時代を引っ張る後継者の教育を今実践しております。