締めの大晦日

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娘がマドリッドの大晦日のビッグイヴェント、ハーフマラソン出場だと張り切ってサラマンカというマドリッドから200km北に位置する地方都市から帰ってきました。月に6日ある夜勤を終えてバスで帰ってきました。クリスマスは、急患を150人をさばいたとさりげなく言う姿は、もうおばさん小児科医に一歩前進かなと、ちょっと安心のバカ親父なのでした。。

いつものように昼飯を娘と食べるのが習慣で、内容はいつもの様にバカ話なんですけど。パパね。小っちゃい子供がげろしてもパッパッと洗えばいいじゃない。全然汚くないよね。でもおばあちゃんやおじいちゃんがげろはいちゃうとね、消えないのよね。うんこもも大人のうんこ重くてくさいしね。とこんなたわいもない話をするのが普段の日課なんです。これからスペインは老人医療が日本と同じように花形になると娘に将来の方向性を諭したときもありました。年を老ると体のすべてが緩んで、顔も大きくなるし、体もいうこと聞かないし、これからは老人がいいターゲットだよという諭し作戦の親心は、馬の耳に念仏に終わったのでした。

娘が、昨日帝王切開をして出てきた子供が酸欠で、心肺機能が極単に低下、それでも生きているなら、生かせるために心臓マッサージあらゆる努力をするのが医者の役目です。15分、続けるのが最低の条件なんだそうです。でも15分経っても医者は、生かせるためにそこで、処置をやめる医者はいないのだそうです。その決断は、まさに葛藤でしょうね。20分の処置で命が、呼吸が、もとにもどっった時は、喜びと同時に医者は、その生きる道を選んだ子供の一生の面倒を見るであろう両親の宿命を思うとこれもまた断腸の思いなんだそうです。だって酸欠で蘇生したら脳障害は必ず伴うでしょうから。親御さんが医者に思う感謝の言葉の複雑さは、これはまさに小説の世界なのです。薄っぺらな道徳論など吹っ飛んでしまうのです、へのっつぱりにもならないのです。山本周五郎の赤ひげの世界なのです。と真面目に話す時もあるのです。

この手の仕事にあった人間は、血液型ならO型ですね。その時その時は、考えるのですが、すぐに忘れちゃううタイプ、あとあとまで引きずらないタイプ。私どもの世界でも、患者さんを治療した後、その患者さんからの電話がない場合、悪くなったから他に行っちゃったと思うタイプ。電話がない、これは完璧に治っちゃったからと思うタイプ。後者のタイプの治療師が生き延びますよね。

結論としては、なんの仕事だって、好きか嫌いかの、この選択につきます。好きなら続けられるし、好きでなければいくらお金が稼げても一生は続かないでしょ。でも何人の人が好きで好きでたまらない仕事で生きてるんでしょうかね。。ということで大晦日。ということで来年もよろしくお願いいたします。

2 Comments

  1. お嬢様は、女医さんですか?

    • 娘は、小児科の医者です。子供が好きで、これからは老人医療が期待の星といったら、おじいさんより子供の未来でしょといわれて頷きました。

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