蚤の市パート7

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バルセロナでふらふらしている時に、バルセロナの公立の語学学校に通っている時期がありました。後で考えるとスペイン語を覚えるのにカタルーニャにいたこと事態がやる気のなさの証明ですね。普通だったら、純粋なスペイン語を学びたいとサラマンカあたりに行くのが、語学学生の本流なんでしょうが。
 マドリッドにパリから夜行の列車で到着して、駅前の安ペンションにとりあえず、5月雨が降っていて、疎の上、歯が痛い、そして安スーツケースが、石畳をごろごろさせてペンションまでたどり着いたらもう滑車が壊れてぼろぼろ。最初からちょっとちょっとの連続でした。

夜、今考えるとどん底というマドリッドの老舗日本レストランで、カツどんを食べたときに、日本人のウエーターのやる気のなさの対応振りに、苦学学生の成れの果てかと、苦虫を噛み潰したのを今でも覚えています。
 私もふらふら、親の仕送りを当てにしての甘ちゃんなのに、人間ができてないの時期ですので、人の悪い所ばっかし気に掛かるアンちゃんだったんだと思います。語学なんですが、それよりも環境は断然海、ということで、3日後に列車でバルセロナになんとなく移動しました。どうせ誰一人、知ってる人がいないのでどこに行っても関係なしの強みでした。
公立の語学学校、最初試験があるのですが、筆記ですので、日本人の大体は、良い成績で中、上級のクラスに入ります。しかし文法が少々できるだけで、会話が幼稚園ですから、一ランク下げてクラスに入るのが、おばあさんの知恵なんですが、その辺が外人とのスタートの違いになります。
 外人は文法ができなくても、最初から万万しゃべりますので、3ヶ月もすると、この違いをハッキリ自覚して、なんとなく似たもの同士の日本人とお茶でもということで仲良くなり、たむろしだしちゃうんでしょうね。
そんなときに、知り合ったのが、郵政省を退職して、バルセロナにいる井上さん,花王の駐在員のお嬢さんのともちゃんでした。まったく接点のない3人なんですが、クラスが終わると何となくbarでコーフィーを飲んで会話するでもなく、たまに花王の駐在員の支店長の娘らしく、虎屋の羊羹を持ってきたり、週刊誌を持ってきてくれるともちゃんに感謝したりして、井上さんが中心になってやる気のない私も加わりテキストを暗記したりして、一様スペイン語を勉強しました。
 まだ若かったので、頭に入ってもすぐ忘れるということもなく、第一次の壁(スランプ)がくるまで、勉強してたようです。
ヨーロッパは、意思を会話により通じさせないと生活ができないが、私の特論ですので、語学だけは、できないに越したことはないですね。
勝手に寄り集まって自分の都合で去ってゆくのが旅人です。ともちゃん、井上さんともお別れのときが着ました。そしてそれぞれどんな人生を過ごしたかも忘れていた頃、35年ぶりに、ふょっとしたら、私、とも子ですけど、バルセロナの小野田さんとFACEBOOKでメールが届いたんです。35年の空間、時を越え、あのともちゃんからの連絡でした。続く。

2 Comments

  1. そうでしたか、感慨深いものがありますね

    先生のお話に、光景が浮かぶようです

    そして、facebookがあって良かったですね
    また繋がりました
    そういう縁でもあった訳です

    • クロスした時期がありそのクロスした時期が過ぎるともう絶対に合えない人もいます。縁なんですね、一期一会の円です。

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