スイスの指圧講習の後は、イスラエルです。イスラエル指圧協会が招待してくれました。イスラエルと聞くと私の年代は、テリアヴィヴ空港乱射事件を思い出します。調べたら1972年5月30日生き残りの赤軍のメンバー岡本公三とネットで出てきました。捕虜の交換でレバノンに在住だそうです。
イスラエルの指圧講習が決まった時、家のスタッフが先生,止めたほうが、絶対に危ない、全てが、ネガティブな意見でした。はっきりと、イスラエルがどこにあるのかも検討がつきませんでした。死海か黒海あの辺かなー、エルサレムの壁、ちょこんとベレー帽の小さいの,まことにもって、貧弱な知識なのでした。
ただただニュースで流れてくる、パレスチナ人が慌しくがなりながら、負傷者を運んでいく光景、イスラエルの首相ベンヤミン,ネタニヤフあの強烈なそして無表情のインパクト顔,ゴルゴ13に良く出てくるイスラエル諜報特務庁(モサド)。この辺がどうも先行してしまうのでした。私も、之はヤバイと内心びくびく、それでも怖いもの見たさもあるし、人生第4コーナー、之も一期一会。
結論として、いざと言う時の楯代わりに助手として、当指圧学校の実技担当のJULIO先生に同行してもらいました。ただ調べてみると、スペインのイベリア航空は、毎日週2便を出しています。南米人も、スペイン経由でじゃんじゃん、イスラエルに行ってるみたいです。まあー行ってみるか、久しぶりにパッションが騒いだのでした。続く