おじさんにも青春はあったのだの巻

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 まったくのご無沙汰の学生時代の友達からのメールが目立ちます。どういう訳か、指圧の道に入る前に,醸造学というちょっと面白い勉強をしていたもんで、仲間が酒蔵の息子や醬油屋、味噌屋の道楽息子が多くてまったくその手の勉強をした記憶がありません。何しろバイトに明け暮れていたことだけは覚えています。

 大学が経堂だったもんで、世田谷から三茶までひょろひょろ歩いて、三茶から渋谷まで全速力で走って誰が一番最初に到着するかと争って、どん尻とドン尻2が、これから行く居酒屋の勘定をすべて払うという約束で、どん尻とわかったらそこからトンずらして下宿に帰って、やばいので、2,3日講義に出なかったり、マー本当に勉強しない野郎たちの集まりの一員でした。

3年の秋に実習があって酒蔵に行くわけです。本当に遊び半分の気分での実習です。一人は真面目の秋田から来た酒蔵の息子、そして俺です。バイトでのさばきは慣れてますので、マー何とかなるだろうの気分での1日目、寒い日で、夕方の仕事が終わって風呂があるというので2人で先に入ったわけです。出ると何かシーンとしてるのです。お先にというと、そこの主人が真顔で出てきて、謝れ謝れと合図を送ってきました。
 やばいことしたのかと感じつつも何が何だかわかりません。何しろ謝れの合図でしたので、謝りました。杜氏さんがあっての酒蔵です。杜氏の大将が一番風呂、私たち実習生は、一番最後、これが常識だったわけです。勘違いもここまで来ると、立派になっちゃうわけです。2週間目の最後の実習日に杜氏さんがほめてくれました。規則正しい生活で、毎日無駄口叩かずに黙々と働く白衣のおじさんたちは、立派でしたね。結構俺たちに、楽してあげようという意識大で、優しいおじさんたちでした。男の世界を垣間見た良い経験になりました。
 醸造を習って海外雄飛、発想はよかったと今でも思っています。今はバイオとか言ってなかなか花形らしいですが、俺のころは、ボンボン学科でした。でも半分以上の学生は白衣を着て真面目な学生でした。
 2年目ごろから高校から一緒に海外雄飛を夢見る親友が、拓殖学科にいたのでそのコネで熱帯農業の実習をやらせてくれる団体と接触してフィリピンに行きました。実に強烈な経験でした。ネグロス島というサトウキビの生産地で、そこのキャンラオンという村での稲作生産の実習でした。雨水をためての飲料水、電気は、発電機だったと思います。そんなことは我慢できます。今日は、歓迎の夕食です。豚を絞めました。カレーです。豚さんはごちそうらしいです。カレーの中に豚肉が入っています。都会育ちの自分です。豚肉に毛が生えていたらどうしますか。ごちそうと言われたら食べなくてはなりません。涙を流して飲み込むのです。それも薄口のカレーです。食べましたねー。御代わりはと言われて、胸が」いっぱいで結構ですと、涙目で笑顔を返したのを今でも覚えています。古河さんという夫婦で、子供が2人いたと思います。暇ができたらぜひ青春の足跡を追いかける旅に出たいと思っています。何しろ、甘ちゃんの自分が叩きのめされた貴重な経験をいただいたのがこの実習でした。この実習で分かったことは、一つ海外雄飛は、甘くない。叩きのめされてKOです。それでも海外雄飛を夢見て、指圧に辿り着つき、指圧を武器に海外に出たこれは事実です。南米に行かずにスペインのMadrid。この選択が正しかったのかは、今でもわかりません。
 今でも東南アジアで稲作やってる仲間がいます。酒蔵で試飲している仲間がいます。農協のドンの仲間がいます。偉そうにバッチを胸につけて渋い顔している仲間がいます。そんなやつらがひと段落の意味か、私に消息を訪ねて来ます。

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