九ずの考察

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この前たまたまFACEBOOKに何やら,九ずという表現の説明をしてたんで何となく共有して保管しました。暇を見つけては、なるほどなるほど、九ずとはこういう人間のことなのかとうなずく今日この頃なのでした。

1番 理解せず。
 これはスペイン人によくいます。私みたいな東洋系の顔を見ると、いくらゆっくり、いくら完璧に話しても固定観念で対応しますので、しゃべる意味を全く理解しようともせず、よくわからないモードをすぐに出しちゃうのです。初めから聞く耳もたずで、知らない、わからないを連発しちゃうのです。お袋がスペインに来た時、旅行中、知らない子供と日本語で会話をして結構お互い理解して,おふくろの最後のさよならを相手もわかっちゃって、会話の意味を改めて実感したのを今でも鮮明に覚えています。
 最初に自分があり、次に他人という考えの人はまず人の話を聞いてませんね。もちろん以心伝心は、外国では通用しませんが、目線を相手の目線よりちょっと下げて会話すると相手の言葉がよく耳に入ってきます。
 爺になればなるほど、自分の昔の栄光を話したがりますが、屁のツッパリにもならないことが分かっていながら悲しいかなしゃべってしまうのですね。なになに会社にいた、大学は、どこどこ誰も聞いてません。自分の立場を理解せず、これもたちが悪いですね。最も人の話を聞いていられるほど人生の時間が残っていないのも確かに事実です。理解しようともせずわがままに生き抜くのもこれはこれでいいのかもしれません。
2番 協力せず。
 協力ということは、自分にとって時には、マイナスに働くときもありますし、直接自分に利益をもたらす場合が少ないわけです。そんなわけで、一瞬ためらうケースが多いわけです。人に頼まれたために協力する。自らの判断で協力をする。色色なケースがある中、このためらう時間のあるなしが、未来の自分の運を左右します。もし協力をするのであれば、瞬きの時間も惜しんで、OKのサインを出しましょう。迷った後の協力は、まったくもってマイナスイメージを残すだけなのです。ありがたみが半減してしまうのです。ヤダよと言って、あとから協力するのであれば始めから協力しない方がいいのです。
 協力せずが九ずということにちょっと違和感を覚えます。協力せずのきっぱりとした姿勢、それはそれでOKだと思います。中途半端の態度をもっての協力が実は質が悪いと私は思っています。協力するといわれて動いたら、はしごを外された苦い経験は、あなたはありませんか。私は2,3確かにありますね。続く。

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