大みそかにふと思ったこと

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 2018年も今日でおしまいです。35年目のスペインの生活が明日から始まります。息子も娘も30歳を過ぎて、それぞれの道を歩みだし数年が経ちました。私が、スペインに来たのが29歳の時ですから、息子たちと何ら変わらない歳で、誰も知っている人のいないマドリッドに根を下ろしたのですから今考えると、何の下準備もなしにマドリッドに移住を決めた根性は、確かに勲章ものです。我ながら今、垣間見るとちょっと無謀だったのかもしれません。

 無謀でも、若さがあったし、まだまだ失敗が許される年だったので、その時は、無我夢中で前に進んでいたんだと思います。あの当時何も知らない地で、誰に聞いたのか、日本人経営のレストランに行き、この度マドリッドで指圧の治療所を開設した小野田です。と挨拶に行き、お兄ちゃんやれるんならやってみなと、口には出しませんでしたが、しぐさで物語っていたあのオーナーも奥さんが最近お亡くなりになり、そのオーナーもとっくに引退して、日本に行ったり、マドリッドに戻ったりして、滞在許可証をなくさないように努めているようです。
 実際、スペインの医療費は、まったくただですので、やはり老後は、住み慣れたスペインでという日本人が多いみたいです。半年以上スペインの地を離れたままでいると、滞在許可証消失の可能性が出てきますのでその辺だけは気を付けた方がいいみたいです。何しろ住み心地のよさでは、スペインは、ヨーロッパで1番か、2番じゃないかと正直思っています。中国人が、どんどん家を買っているので、投資にもいい国なのかもしれません。
 息子たちが30を過ぎたとはいえ、日本人のおさな顔、こんな幼な顔で、あの頃私は、いっっぱしの治療師の風情で生意気に患者さんを、さばいていたと思うとまったくもって赤面してしまいます。体育会系の根性論一辺倒で、数をこなしていたあの頃は、まったくもって奇跡の連続だったんだと思います。朝の9時から、夜の9時まで、休みなしで患者さんをさばいていた時期が、バブル前の92年前後にありました。第一次指圧ブームで、何回かテレビにも出演して、下手なスペイン語を根性とジェスチャーでカバーして話したあの頃、今思うとこれまた赤面の時代を通りこしたことが、大変懐かしく思います。確かにスペインのいい時期も見てきたし、悪い時期も通過してきた生き証人かもしれません。
 95年以降、バブルがはじけて、建築と不動産関係の大将の奥方の群れを患者さんとしてゲットして潤っていた当クリニックもガタガタで、金をバンバン貸してくれていた銀行の支店長もいつの間にか消えて、まったく冷たくなった銀行さんを恨んだ時期もありました。バブルで膨れ上がったマンションの返済できつかった時期もどうにか通りすぎて、やっと平和が戻った今日この頃なのでした。
 親父のいつも言っていた言葉が妙にピタリの時期に差し掛かったのがあの頃かもしれません。年老って、金がないほどみじめなものはないぞー。孫がなんでお正月におじいちゃんの家に来るのか知ってるか、お年玉だよ。お年玉もあげられないじじいほどみじめな者はないぞー。お金をけちれとは言わないけど、無駄使いはするなと何時も言っていた親父を今でも思い出します。
 この商売、定年の心配がないので、手が震えたり、親指の感覚が鈍ってきたらもちろん引退ですが、まだまだやれそうな気がしますし、患者さんと共に年を老って、患者さんがみんな、爺さん、ばあさんになり、治療所さえも通うのが億劫になり、自然と治療院もすたれていくこんな感じで終われば、それもいいんじゃないかとふと思った大みそかの我なのでした。

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