Madrid夏2022

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今年のスペインの夏は、熱中症でお亡くなりになる人が、何百人と出ておたおたしています。日射病と熱中症の違いが今一理解できない自分は、スペイン人に熱中症って、なんだと言われても説明に苦しむのでした。何年か前に、このむんむんとした夏を過ごしたことは、覚えています。

ただただこう何日も続くと地球の温暖差の影響かとか、何か凶の未来を想像しがちなのですが、朝方まで、寝返りを打って悶々とする毎日は。確かに異常なのでした。

今年の夏も、どこも出かけずにマドリッドでぼそぼそ毎日を送っているのですが、ふと治療所の電話に大変珍しい友人が電話してきたのでした。カルロスモリーナ先生で、日本で、スペイン語を習ったアカデミアカスティージャの校長兼オーナーのマドリレーニヨなのでした。今マドリッドに来ているので、お茶を飲みましょうという極々軽い調子のお誘いでした。スペインに来て2,3年ぐらいは、ちょくちょく連絡をしていたのですが、それから、私も、生きるのに目一杯の生活が何年も続きましたので、いつの間にか音信不通になっていたのでした。30年ぶりといった所です。

彼が、渋谷のスペイン語の学校を立ち上げたばっかりの時に、私のほうもスペインで、指圧で、一発といった昔ながらの言葉、海外雄飛を夢見ていた頃の一期一会物語があったのでした。

朝は、日本指圧専門学校、昼から巣鴨のとげぬき地蔵の指圧治療所で見習い、そして週二回の夜スペイン語の習得のために渋谷のカルロス先生のアカデミーに通っていたのでした。アカデミーの一期生が、私たち、スペイン語どうでもいいメンバーなのでした。確かにスペイン語は、大事なのですが、終わった後、クラスのメンバーとカルロス先生、いつも7,8人のメンバーで、近くの一杯飲み屋に行くのが楽しみなのでした。今はあるのか知りませんが、ヴィセンテSHEFUがオーナーのレストランCASTILLAなんかに金もないのに皆で行ったのを今でも覚えています。

スペイン人の先生が言うには、、マッサージというとスペイン人は、どうもちょっといかがわしい手技を想像するらしく、スペインではどうかなーと疑問視するのですが、カルロス先生だけは、今まで、スペインは、手技療法の歴史は、オイルマッサージか物理療法師ぐらいしかないけれども、これからは、スペインも伸びるだろうから指圧受けるかもしれないと私に言うのでした。カルロス先生は、日本にいながら、スペインは、いつかは、EUに加盟して、ピレネーを越えるとアフリカのイメージはなくなると思うと何度も授業で力説していたのでした。

メキシコかスペインを渡航先と決めていた自分は、カルロス先生の暗示にかなり影響されていたようです。あの時のクラスの同僚は、ほとんど今まで、会うことが、ありませんが,鮮明に青春の一ページとしてインプットされています。カルロス先生曰く、今は隠居してアカデミーは、顧問として直接教えていませんが、幾人かの昔のメンバーが、クラスに出席して、若いお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に暇つぶしをしているということです。

一つは、スペイン語を教えてもらったことへの感謝とカルロス先生がスペインに行くのであれば、,visado especial をスペインの領事館に行って取った方がいいよという、的確なアドバイスを受けたことで、早速領事館に行ってパスポートにvisado especial という印をラッキーにも、ゲットしたのでした。いざスペインに来て、役所回りを始めました。感謝、感謝、スペインでの住居と労働の許可証をもらうにあたり、必須条件、だったのでした。感謝感謝の一言なのでした。金のない身で、日本に戻って、スペイン領事館に行ってVISADO ESPECIAL をもらって来いと言われたら、このスペイン物語は、実現できなかったろうと思われます。

スペイン領事館には、クラスメートが、働いていたということと、担当の秘書官が、すごく好意的であったということが、これまたラッキーだったようです。この秘書官は、スペインで、私の治療所の患者さんになる人だったのですが、今現在は、日本のスペイン大使館の大使がこの人です。カルロス先生は、外務省の外交官の卵にスペイン語を教える先生を長年した人です。17年間、今現在も天皇陛下にスペイン語を教えている先生でもあります。

偉い人になったようですが、俺にしてみれば、飲み仲間ですので、何ら変わりなしで付き合っています。

生きていると色色あるんだと実感した、2022夏マドリッドなのでした。

4 Comments

  1. 何気なく開いた今回の小野田さんのブログ、懐かしい名前が出てきました。Crarlos Molinaという。そしてVicente のRestaurante Castillana.
    2回目のスペイン生活を切り上げて帰国した1978年末から、1982年にヴェネズエラにプラント通訳で日本を後にするまで、暇を見ては足を運んだものでした。
    とりあえず、今回はここまで。

  2. カルロス先生は、昔のままの体形で、声にも張りがあり中々気が充実してました。外務省に最後のご奉公で,一代プロジェクトを遂行中とのことでした。まだまだ現役のようです。

    • Academia Castillaはその後代々木八幡駅の富ヶ谷に移り、90年代はそちらの方にも時折足を運び、夜には近くの居酒屋で飲んだものでした。
      いつか新聞で皇太子時代のいまの天皇に、スペイン語を教えているという記事が出ていたのを覚えています。
      懐かしい思い出をありがとう。

  3. Academia Castillaはその後代々木八幡駅の富ヶ谷に移り、90年代はそちらの方にも時折足を運び、夜には近くの居酒屋で飲んだものでした。
    いつか新聞で皇太子時代のいまの天皇に、スペイン語を教えているという記事が出ていたのを覚えています。
    懐かしい思い出をありがとう。

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