帰国

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お袋が危篤の情報が、日本より寄せられたので、早速飛行機の手配を始めました。この8月の終わりという時期は、ヨーロッパ在留の日本人家族が夏休みを利用して日本に帰国して、ジャーそろそろまた現地に戻ろうかといった輩が多いらしく結構いっぱいですよーとの、現地の日系の旅行代理店のボスに忠告を受けていたので、恐る恐る探し始めました。日航や全日空が日本に向けて出ているハブ空港めがけてマドリッドから出かけるのですが、たまたまフランクフルトから日本の全日空がゲットできたので、その飛行機のチケットをゲットとして約4年ぶりに日本帰国の手配が整いました。

娘も、おばあちゃんに会いたいということで、私と娘で弾丸緊急旅行の準備を始めました。うちの娘は、国家公務員という職業をこちらで選択したので、国籍をスペインに変更しているので、両親が日本人そしてその娘であるということにかかわらず、日本人あらずということで、青い目の外人さん同様の、査証が必要ということで、日本の領事館にメールを送ると、これが2日間たっても返事なし、しょうがないので、電話をすると、これも要領を得ないぼんくら返事。

マーこの辺が、天下のお役人がやる仕事の限界と私自身は、理解していますが、娘は、わかりません。娘も終いには、ざけんなよーの限界。この辺は、スペインの場合であれば、おばあちゃんが危篤とあれば、そりゃー理解しますわ。即座に査証を出すでしょうが、日本は、違います硬いのなんの。一言、上からの指示があれば、コロッと変わるんでしょうが。この辺は、融通の悪さというのか、ダメですねー。問題が起こらぬように、機転を発揮できないシステムなのでしょう。そりゃ現地採用の職員さん、余計なことで首にはなりたくないのが、本音ということで、しょうがないことです。

地元に何十年いて、この辺の感じは、十分掴める私でした。最終的に一刻を争うということで、私だけで、帰国したわけです。娘は、査証の獲得に何日かかかるということで、今回のおばあちゃんに合うための旅行はあきらめたのでした。

特に、旅行者には、領事館は、愛想がないですね。地元に何十年いる私でさえも、けんか腰になることがあるので、この辺の所は、まあ・まあ 役所のやることで、こんなもんでしょと割り切ればいいのでした。

キャリアのお役人だって、議員さんとか、肩書きの付いたお偉方が日本からくれば、そりゃー、態度が違うわなー。そんな野郎に限って、地元の人が、高くてまずいというレストランに誰が教えたのか、ご招待する輩なのでした。マーそんなことを言ったら、キリがありません。話を進めましょう。

フランクフルトから全日空で羽田まで13時間、疲れたの一言でした。どちらかというと私は、日本航空のほうに良い思い出があり、どちらかを選べと言われれば、全日空より日本航空を良しとするのでした。全日空のお姉ちゃんは無理して笑顔を作っている感じで、最もユニフォームの色が余計、貧弱感を作り出すのか、便秘と貧血の防止の薬をいつも常備しているようなイメージを沸かせるのでした。あの手の仕事をこなす人は、もっとふくよかでもいいような気がするのですが、もっともこれなどは個人的な感想なのでした。

降りてややこしい手続きが待っているのかと思ったのですが、確かに長い距離を歩かされましたが、多くのスタッフを雇い、親切な対応で、書類を書かされました。なれない年配者は、この時期の飛行機の使用は、ドキドキな出来ことを予想してストレスが溜まるので、もう少し我慢した方が良いのかもしれません。

帰国するとすぐにキオスコに行きオロナミン©を飲む習慣があり、今回もキオスコ直行、大村崑のオロナミンの時代はすでに終わったようで、そこのキオスコには、オロナミンはありませんでした。しょうがないので、カレーパンとリポビタンを購入、さて定期便バスを探し、お袋の待つ町、大宮に直行。無事にどうにか、到着の日本なのでした。

 

 

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