友達はいいよなの巻

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 日本の滞在が、15日間、この久しぶりのまたとないチャンスを利用して、高校の同級生と会うことになりました。久しぶりという事で、話がどんどん進みました。川越が都合がいいという事で、国鉄の川越駅の改札口前で集合という事になりました。
 川越には、国鉄、東上線、西武線等が入り込んでいて川越と名称が付く駅が沢山あります。
川越も変わったもので、以前は、喜多院の静けさが、本当の小江戸川越を好きな人であり、通の人には全くもって騒々しい町内会になったものなのでした。
 今のようにごちゃごちゃ、青臭いお姉ちゃんが、闊歩している川越は、どうもなんですが、何もない埼玉県にしてみれば川越は健闘している街なのでした。小江戸川越で売る今の川越は、駄菓子や、川越芋、はては、ウナギが売りのようですが、駄菓子やイモはともかく、ウナギが有名になったのは、つい最近のような気がしますが、商売根性丸出しのうなぎ屋の中で、喜多院のそばの古い一軒家の古民家のうなぎ屋に時々行きますが、あそこは、流行りに関係なく昔からいつものように気取らず、やってますので、あの店は別格です。
 私のクリニックの近くには、レアルマドリッドのスタジアムがあり、試合があるときは、交通規制で、まったくもって迷惑なのと同じように、土曜、日曜の川越は、よそ者だらけで、商売とは関係ない住民は、ただただ迷惑な、うっとうしい街になりますが、じっと我慢なのだそうです。なぜ詳しいかというと私の姉が川越に嫁いで、何十年なので、そんな情報をちょくちょく聞くからです。
午前中に昔バルセロナで遊び転げていた頃の仲間と会い、暑いから帰ると早々にお別れして、日が沈むちょっと前まで時間をつぶして、、夕方5時に集まり居酒屋に駆け込んだのでした。一人は歯医者をリタイヤして悠々自適の友、市役所を務め終え、実家の畑と語り合う友、自分の会社をうまく売り抜け、これまた一件落着の友、そして私の4人がいつもなんとなく集まるのでした。
 会って、話し始めると昨日会って、その続きのような感覚で、妙に居心地がいいのでした。今回は、私が、会いたいというと、小野田が合いたいと思った時は、会うべき時だなと友が即座に動いてくれたのでした。
この数少ない仲間は、昔から己の勘を信じる男たちで、勘で今まで生きてきた面々なのでした。全くもって、友達は、少ない方が良い派なので、皆一匹狼で生きてきた人間とも言えます。高校が東上線上板橋にある私立の男子校で、個性を伸ばす教育で、色んな生徒がいたような気がします。俺と歯医者は、部活が少林寺拳法で、組み手のコンビだったので、喧嘩もしたし、熱く語り合ったりしたし、当然一生涯付き合う男だったような気がします。後の仲間は、落研の部長で、大学卒業後ロッテに入り、丁稚奉公を経験後、10数年後、親父の会社に入り、バリバリと会社を時代に載せた男です。そして一人は、建築家を早くから希望していた奴で、結構勉強をしていたと思います。
 高校の友としては、この4人が生涯の友として今も付き合っています。約50年戦う土俵は、違っても生き抜いたんだから、これはこれで、超立派なことです。
 居酒屋で語りつくし,お勘定。そしてそれぞれの家路に急ぐのですが、それじゃ―またなの一言で、バイバイです。明日また会うかのように振り返りもせずバイバイです。またの会う日を、語り合ったけど、果たして、未来のことは判らない歳になったことは、全員が承知しています。、あの時に帰れた今の瞬間を、そう一期一会に感謝感謝なのでした。

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