2025年11月27日
by 小野田
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DR石塚寛 日本指圧専門学校 前校長

ISHITUKA 1-4ISHITUKA 1-3

合掌
解剖学のエキスパートとして晩年まで、精力的に活動なされたDR石塚寛先生が、2025年11月4日にお亡くなりになりました。享年92歳でした。
ISHITUKA 1-1
日本指圧専門学校の校長として長年活動していたのは、周知の通りですが、解剖学の権威として生徒にさりげないアドバイスをし続けたことは、あまり知られていません。
私などは、指圧の本を製作するにあたり、石塚先生に献上したところ、半年ぐらい後に、未熟な指圧の私の本が、真っ黒に染まるほどの訂正が、なされた本が返ってきました。
なんと暇を見つけては、間違い探しをして、訂正してくれたとのこと、大変感動いたしました。
第2版のすりおろしに出版社とごたごたしながらも、全てを校正した本を世に送り出すことができました。
そんな縁もあり計5冊の自著の解剖学部分の校正、監修をしていただきました。
出世払いという事で、甘えたままで終わってしまいましたが、DR石塚先生には、大変感謝しております。
指圧をエビデンスという言葉に絡め、料理をしては懇切丁寧に生徒に伝授することに情熱を注いだDRです。まさに世界一の解剖学者でした。
今でも私の記憶に残るのは、ハワイ大学医学部の解剖実習の講義です。あの迫力ある解説は今でも鮮烈に、私の記憶に残っております。
帰国するたびにご挨拶に校長室にはせ参じましたが、本が、至る所に散乱していた記憶があります。小野田君記録に残しなさい。本をドンドン世に出して指圧の概念を払拭しなさいと何回も肩をたたいていただきました。思い出は尽きませんが、DR石塚寛校長の御恩を一生、忘れずに謙虚に指圧道を歩みたいと思っております。
ISHITUKA 1-2

結手    

塾指圧プラクター塾長
小野田茂

2025年11月11日
by 小野田
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DEN HAAG(オランダ)指圧セミナー

昨年の2024年10月の最終週末、オランダの指圧の団体に招待されて2日間の講習を受け賜りました。
テーマは、阿是指圧セオリーに基づく、四の首の一つである腰部(首れる部位)がテーマでした。
(四の首とは、手首、足首、首・頚部、腰部の四関節部位の治療の推奨)この四か所の関節部位は、動きを潤滑及び、より精巧に作動するために小さい骨が、いくつもあります。体の動きの要の部位である一方、無理な衝撃を受けやすい部位でもあり、またストレスを極端に受ける部位でもあります。
この四か所の狭くなった部位、経絡の関所でもある四の首をいつも正常に維持するために、
常に四の首の治療をして体のバランスを整えることが重要です。
腰部は、構造上、骨盤底筋、腎臓、横隔膜、脊柱起立筋等が腸腰筋と筋膜によって、つながっています。
この事を念頭に置いて背部の問題を腹部で解決する按腹治療のセオリーにのっとった指圧療法を伝授しました。

2025年10月26日、27日
DEN HAAG指圧セミナー

そして今回、2025年のオランダDEN HAAG でのセミナーでは、首の首と題して世界中で依存症が増加の一途をたどる現代病ともいえるスマートフォン症候群の治療を伝授しました。
今回この指圧學校の顧問である日本指圧専門学校卒業の宮本先生は、不在でした。
講習参加者は、約30人、ベッド15台を並べても充分スペースのある場所での講習会となりました。
準備体操1-1 講習風景1-2
スマホ病とは、スマートフォンの長時間使用によって引き起こされる、心身の様々な不調の総称。
具体的には、首凝り、肩凝り、頭痛、眼精疲労などの身体的な症状(スマホ症候群)や、スマホなしではいられない精神的な依存(スマホ依存症)などがあります。
スマホ依存症とは、「スマートフォンの使用を続けることで昼夜逆転、すなわち不眠症を誘発。
一般的な日常の生活において様々な問題が起きているにも関わらず、使用がやめられず、スマートフォンが使用できない状況が続くと、イライラし落ち着かなくなるなど精神的に依存してしまう状態のことを言います。
西洋医学では、心身一如の理解が不足しているために、意外に難儀なようです。しかし東洋医学の一環である指圧治療は、難なくこの手の治療を施し非常に良い結果を生んでいます。
指圧の特徴である全身治療はもちろんのこと
特に頚部の治療(硬結ポイント治療)を右利き、左利きの体の使い方を考慮した指圧治療法をレクチャ―しました。
参加者の中に、1981年に日本指圧専門学校がプロモートした外国人の為の指圧教室に参加した経験のあるオランダの先生が、いらっしゃいました。お名前は、TRUUS TSUCHIDA HOGENAAR というご婦人です。長年指圧治療をオランダで、営んでいるとのお話でした。
またオランダでは、指圧治療が、民間の医療保険の適用があり、大変ポピュラー化されているとのことでした。
指圧教室1-3

44年前すでに日本指圧専門学校は、指圧の海外普及をしていたことになります。ちなみに先生は、浪越満都子先生と佐々木先生とのことでした。
指圧教室1-4 指圧教室1-5
世界中で携帯電話が使用されています。すなわち世界中に指圧治療適用の患者さんがいるわけです。
こんな絶好な機会をほっとく手はありません。改めて指圧の可能性を問われています。指圧の花を咲かそうではありませんか。という事で、パンデミック以降鳴りを潜めていた指圧普及の動きが、再びEU諸国で見えてきました。
2日間の講習は、あっという間に終了しました。今回も、アムスステルダムのホテル大倉の橘指圧治療院で20年間働いていた、日本指圧専門学校出身の宮本先生が、応援に駆けつけてくれました。

反省会1-6 修了証授与1-7
追記
現時点のオランダは、労働許可証が、非常に取りやすくなっております。またワーキングホリデーを利用して就労している卒業生が、何人かいるとのことです。
オランダは、移民問題にて、確実に失敗しているにもかかわらず、まだまだ海外で働くチャンスを与えている姿を見ることができます。沢山困難が見え隠れしていますが、クレバーなオランダは、試行錯誤しながら、確実に前に進んでいます。
日本も見習わなくては、ならないことが沢山あるようです。
来年も招聘とのことで、セミナーは合格点だったようです。やれやれ無事にスペインに帰国しました。

塾SHIATSUPRACTER 塾長
小野田茂

2025年11月2日
by 小野田
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インバウンド

この投稿文が、丁度500回らしい。雑文をボケ対策の一環として初めて、何年が経過しただろう。一回の投稿文が大体1600字、原稿用紙4枚を目途にしているので、1600文字 × 500回だから結構書き乱れたかもしれません。継続は力。2万時間、患者さんを治療して初めて一人前と、うんちく野郎に言われて14年かかって2万回、患者さんを指圧したのを考えれば、この程度のことは、と思うのですが、親からもらった丈夫な体が、あってこその奇跡で、お袋、親父には、改めて感謝です。
 記念すべき今回の雑文、帰国感想文パート2でまとめてみましょう。
 実家での居候は。経済的にはグッドなのですが、娘と孫にとっては、ボロボロの古民家如きの実家は、寒くて、不便でしょうがないらしく、鶯谷と上野の中間に位置する入谷にキッチン付きの宿屋、鴬に宿泊を変えました。
 旅館鶯(うぐいす)という宿泊施設、最後の最後まで受付には誰もいませんでした。娘が、ネットで探して、玄関と部屋は、クレジットのお金の入金が,okであれば部屋の開閉の暗証番号が届くシステムで、全て携帯で、やり取りするシステムは、娘の世代は難なくクリヤーのようです。ゴミ掃除、敷布の交換は、アジア系の外人が不愛想に仕切っていました。なんとなくオーナーが、日本人ではないような気がしたのですが,恐らく、、、、、、人でしょう。
 帰国時に羽田までの交通手段を考えて、東京の下町の、手ごろな旅館を選びました。私の感想としては、子供ずれの日本の旅は、まだまだ改善の余地がありそうです。
 しかしちょっとした遠慮気味の日本人の親切は、外国人には身に染みるだろうと思った次第です。
 鶯谷と上野の間、誰が命名したのか、奥浅草というんだそうです。言問(こととい)通り、(東京都文京区の東京大学本郷キャンパス前から、台東区の言問橋までを東西に結ぶ都道の通称です。沿線には東京大学のほか、浅草寺などがあり、その名は平安時代の歌人・在原業平の有名な歌に由来します。)を行ったり来たりして3日間を過ごしました。
 要は浅草まで徒歩で歩くのですが、普段なら浅草のシンボル仲見世の始まりの大きい提灯からスタートから浅草ツアーが、スタートするのですが、今回は、裏手から入ってゆく感じでした。
 浅草六区は相変わらずごちゃごちゃしてましたが、東洋館の隣のパチンコ屋には、朝の10時前という事で、パチンコ依存症の若者が長蛇の列、日雇いぽいのもいたけど、ボーとした若者が、パチンコ屋の開店を待つ姿は、異常な風景でした。対面が、場外馬券売り場、そして沢山の外国人、ドン・キホーテにユニクロとくれば、確かにオールスターの形相でした。
嫁さんは、渋谷派、私は、上野界隈派で、帰国すると上野界隈を本拠地にして買い物などをするのですが、ここ数年の外人さんの数は、想像以上のようです。確かに一頃1ユーロが、120円前後をうろちょろしていた時期がありましたが、今は、1ユーロが170円前後で、完璧な円安です。ユーロ圏の外人は、日本の物価におどろきの連発です。その上、丁寧な接客は、確実に好感度100パーセントです。
 その一方で、日本人の親切心を悪利用する外人は、確かにいるだろうなと不安視した次第です。ごく少数なんですが、ひどい奴は、どこにでもいるものです。そんなやつには、日本語でどんどん文句を言えばいいのです。なめられて溜まるかの根性が大切です。
 個人的にみるとどういう訳か、スペイン人の旅行者が、妙に目立ちます。スペイン人に聞くと、日本旅行がブームなんだそうです。そんな訳で、イベリア航空は、ほくほくだそうです。
 普段はいかないんだけれども、今半のすき焼きランチを堪能、30分待ちも何のその、接客が完璧でした。入谷鬼子母神前のNODAYA さんでウナ重を完食。そのほか妙に携帯からの情報を重視した背景には、携帯情報に毒された娘の影響が、大なのでした。一番嫌いな、並ぶことをして食に食らいつくのも、たまにはいいかと笑顔をもって理解のあるお父さんを演じて見せたこうこうお父さんなのでした。

2025年10月30日
by 小野田
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日本はいいよなー

 2年ぶりに日本の土を踏みました。今回は、娘と14か月目の孫のベラちゃんとの旅で、娘に一杯食わされたのを承知で、そして甘いお父さんを演じての日本旅行でした。娘は、親父の経済力と赤ん坊のお守りの助手として、わたしを巻き込んだのであって、案の定、飛行機内のヴぇラちゃんの機嫌を見ながらのお守りの助手は、正直しんどかったの一言でした。ただ機嫌の悪い時は、赤ん坊は泣くのが商売ですので、これは仕方のないことですが、飛行機の高低の差での耳鳴りにおいては、まったく無頓着でしたので、確かに助かりました。
 今回の飛行機の会社名は、キャセイパシフィック航空で、香港経由のルートでした。半年前に買った搭乗券ですが、何年か前と比べて非常に航空券の値段が、上昇していて、普段は、イベリアの直行便で行くのを常としていましたが、一般的に飛行機の券が、ゲットしにくく、適当な妥当値段のキャセイパシフィック航空にお世話になりました。食事は、イマイチ,帰路の飛行機内は、寒いよと、旅行通の友達にアドヴァイスを受けていましたが、案の定,食事イマイチ、食器の後かたずけが、遅い。そして帰路の飛行機内が非常に寒いというアドバイスは、大当たりでした。燃料費をセーブしているのではないかと疑うほど、一昔前のソ連のアエロフロートを思い出させました。しかし総合得点は合格だったと思います。
 羽田に到着。普通であれば、大宮行きのリムジンに乗り実家に帰るのが、いつもの予定ですが、無理をしないという事でタクシーで行くことにしました。大宮までは、2万5,6千円とのアドバイスでOKして、いざ出発、到着は、なんと1万7千円でした。リムジンは,大体一人3000円ですので、3人で9千円、苦労を引いたら、安いんじゃやないかと思った次第です。運転手さんにお礼をあげて,よかったよかった。しかし30分後、娘が、タクシーの後部座席に携帯電話を置き忘れたと騒ぎだしました。運よく、領収書をもらっておいたので、領収書に書かれた最寄に電話をして、話をして一安心、スタンバイの状態になりました。30分後、タクシー会社から電話があり、宅配で、届けるとのこと、まったくもって、娘は、驚きの顔、スペインでは,何かを、落としたらほとんどが戻らず、盗まれたら、書類上のことのみで警察に行きます。再発行の時に落とした、または盗まれたという証明書が必要になるからです。そんな書類を作成するために警察に行き、手続きをして、それ以上の進展はなしで、お終いがほとんどです。2日後に宅配到着、一件落着。落とし物が返ってくること自体が、奇跡のよその国。外国人は、マー驚くことでしょう。
 帰国をするたびに、地元の大宮の変わりようには驚かされます。駅前の西口近辺が、私の少年時代の遊び場で、まだ田んぼがあった記憶があります。同級生は区画整理で、徐々に引っ越しを余儀なくされて、ほとんどの仲間が、引っ越して、この地を去ってしまったので地元の意識がもうありません。ひと昔前は大宮は、確かにまだまだ田舎でしたが、京浜東北線の終電の大宮が、新幹線は止まる。埼京線は走る。他にも訳の分からない列車が走り、ここに育った私でさえ、戸惑うことがあります。
毎回帰るたびに、立ち寄る団子屋も、第代わりしてまずくなったし、満々亭も何処に行ったやら、押田文具屋さんは、まだまだ健在で頑張っているので一安心。それにしても帰宅するたびに帰路は中山道の国道を渡るんだけれど、車が,通ってないのに信号赤なんで、青になるまで待ちますよね。スペインでは、絶対、車がいなければ赤信号でも渡るんだけれど、日本に帰ると信号を守る自分は、やはり日本人だとうんうんと頷くのでした。
追記
何やかやで、子供と行くのは、もうこりごりだーと実際何度となく口に出しかかりましたが、人生秒読み終了の一歩手前の自分が,奇跡的に2週間という日々を孫といられたという事は、後にも先にもこれ一回だろうと思うと、これはこれで満足なのでした。
普段は、飛び回る2週間ですが、孫のお陰か、ゆっくりできたことに、これはこれで、感謝感謝なのでした。

2025年9月26日
by 小野田
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しないでいられないことをし続けなさい。

 断捨離で書き物の整理してたら、若かりし頃の文章が出てきました。なぜスペインくんだりまで来て指圧を始めた訳の分からなさが、今も続くおじさんの、悩み多き昔昔の、自分自身への励ましの文章みたいです。あの頃は、プロフェッショナルの意味を確定できずぬに悩んでいた時期だと思います。今は、力まず、限度の一歩手前で、終わらせる余裕が技に生じ、どうにか自分の心に少しは、謙虚さが、生まれてきたかな-と思っています。

どんな世界でもプロになるのは生半可なことではありません。資格取って一人前なんてのは、ただの幻想に過ぎないことは覚悟しておかないとすぐに潰れます.自身が選んだ世界の技術で,人々に認められ、かつ必要とされて仕事になることの難しさの第一歩が専門学校に行くということなんだと,あの頃は思っていました、。専門学校に入る目的は何ですか。もちろん手に職を持つ、手に職をもって食いっぱぐれがない世界に入り込む。一匹狼で生きてゆく。お山の大将になりたいために専門職の学校に入る。こんな感じが私の時代では一般的でした。
そしてたまたま入った世界が、その人にあっていれば、万々歳で、水を得た魚よろしく、のめりこんでゆく、ここら辺の先行きまで見て進路を決めることができる人は、マー何をやっても成功します。ところが、今の若いの、専門学校を卒業してその世界のちょっと大きな会社に入ってサラリーマン指圧師になって、まあーこれでいいかと、なんとなくやってる卒業生が多いと聞きました。そうなんだー、その上、親が学費を面倒見る若いお兄さん、お姉さんが、多いとも聞きました。それじゃ勉強しないなと合点したのでした。
 私の世界は、もちろん地味な世界ですが、よく言われるのがこの世界、大金持ちにはなれないけど、乞食にもならない。こんな感じで揶揄されているのが私達指圧の世界です。何年か我慢してやっているとなんとなく患者さんがついてやっていけるのがこの業界です。ただ少なくても3年は我慢しなくちゃ患者さんはついてきません。要するに3年間は赤字でもどうにかやっていけるお金を確保しておきなさいということです。
 こんな時に、じたばたする奴はマー失敗しますね。一発で痛みを取るテクニックの講習会、2日間10万円、安すぎてもダメ、高すぎてもダメ。専門学校卒業したての、お兄ちゃん、お姉ちゃん、この手がセミナー屋の餌食になるのです。
 治療して稼ぐより、セミナー開いて御託を並べた方が実はもうかります。当の私だって見習い時代、ずいぶんそんなセミナーに投資しました。帰国しては、そんなセミナーに出て、なけなしのお金をずいぶん分もぎ取られた経験があります。今考えるとすべて勉強です。肥やしと思えば安いものです。最終的には、指圧という柱がありましたので、ぶれなかったのが良かったのかもしれません。
 どんな世界でもやはりプロとして生き抜くには、運もあるし、その運の中で人との出会いがあります。運が良い人は、やはりラッキーなんでしょうね。同僚であったり、師匠であったり、本物がそばにいるとやはりブレが少ないので、その辺の運を呼び込めた人は、ラッキーな人といえます。
 サラリーマンに縁遠い人が、専門学校に通う。そして生き抜くノウハウを勉強する。これが専門学校の強みのはずです。医学部に入って卒業した翌日から医者として食べれるなんて誰も思っていません。調理人も調理学校を出て、すぐに使えるなんて誰も思っちゃいません。ジャーなぜ専門学校に行くんだい。それはね、自分があこがれた職種が自分に合っているか見極めに行くのです。あってないと思えばすぐに我慢などせずに違う世界を見つけるべきなのです。
 この世界でやっていけると思ったら、好きだったら何の苦もありません。その辺の見極めがつかないから中途半端な野郎が増えるのです。中途半端な奴が業界を下方に引っ張るのです。半端な野郎が一番たちが悪いのはどこの世界でも同じです。専門学校で基本のイロハを学べれば、それでよしも一理ありといったら語弊があるのでしょうか。
 浅く学んで、浅くそれなりに生きる。それも人生です。帝国ホテルのコック長、これもこれもよし。駅前の量で勝負する一杯そばや、それもよし。自分の人生、生き方に筋を通せば。全てOK.
こんな文章が残っていました。悩める時期にプロになる分岐点にいた自分への励ましの文章です。しないでいられないことをし続けなさいと漫画家の水木茂先生が言ってます。結局は、この言葉にに尽きるようです。

過去のこの日

2025年9月1日
by 小野田
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残り4か月で2025年の終わり

とうとう9月になりました。マドリッドは、誠にもってガラガラで、海行ったり,山行ったりみんな楽しんでいるようですが、海も山も人でいっぱい、ホテルは高いし、サービスが今一、この辺が相場ですので、マドリッドでダラダラしていたのが、正解かもしれません。乞食さんも、失業者も8月はバカンスなのです。一斉にスーパーマーケットの入り口で、おもらいしていたルーマニアの栄養たっぷりな体のおばさんも、一か月見かけませんでした。皆バカンスなのです。
 それでも、週一回指圧を受けに来る図書館で働くアナさんが言うには、国、自治体で、働く公務員になるために、国家レベル、自治体レベルの公務員試験が、10月にあります。この試験にパスするために、勉強する若者が、図書館にべったりで必死に勉強しているとのことです。
 政権がどちらかというと左寄りの労働党ですので、公務員は、やはりおいしい職業で、その手の試験に合格して、安定路線を求める、若者は、夢があるとか、夢がないとかガタガタいう前に、とりあえず食っていかなければ、ならないので、勉強で解決できるのであれば人生最初の壁を、逃げないでどう対処するかは、最初の試練という事で、いいんじゃないですか。日本の大学受験、猫も杓子も駅弁大学に一時避難して社会に出るのと訳が違うので、やはり大学は、こちらでは、まだ価値があるので、やるやつは、やっぱり勉強しています。
国立や自治大学が幅を利かしていますので、日本とは、ちょっと違いますね。偏差値の勝負ですので、誰も大学の名前で、大学を選びません。これはヨーロッパの大体の国々の常識かもしれません。すなわち学部のレベルで選びます。何をやりたいか、何を学びたいかで、大学を選びます。
 はっきりって、入るのも難しいけど、それ以上に出るのも難しいのがヨーロッパの大学です。ボンボン落とします。ただ出れば、勿論それからも勉強ですが、結構将来が見えてきます。
 勿論近年私立の大学も増えてきましたが、やはり私立の大学は、お馬鹿さんや俗に言われるボンボンが通う大学という認識がまだあります。ただレベルとは別に、就職は、私立の方が沢山あり、また大学と通じているのか結構名の通った会社に就職しているのも事実です。
 またコネで、会社に入れますかと聞かれたら、6割がコネでしょうと言われるぐらい親族経営が多いのも事実です。南米の国を例にとるとパナマなどは16の親族のグループが、パナマ国を支配していると言われるように南米を見れば、その国々を植民地にしていたのが、スペインですから、今では、目には見えませんが、コネの文化、血のつながりを貴ぶ風習は、まだまだスペインには存在しています。
 今は、労働党の支配にありますが、民衆党などは、まだまだ貴族社会が、落ちぶれたとはいえ、存在していますので、その辺のつながりや、何かわけのわからない結社というか、組織がうごめいているのも確かです。確かオップスデーとかいう、やたらに家族の人数が多い(避妊禁止)家族などが、うごめいているのも確かです。都市伝説とか、いうんでしょうか。
 近年は、薄れてきましたが、ホワイトカラー、ブルーカラーの違いは、お金がもうかるとかもうからないは別にして、まだまだヨーロッパでは存在しています。
 このカラーには、もう一つありました。一頃、スペインには、徴兵制がありました。徴兵制廃止から大分年月が経ちましたが、ウクライナ、ソ連の戦争が長引き、緊張の中、徴兵制の復活が、浮上している事実がヨーロッパにあります。一頃の平和が軍人さんを必要としなくなりましたが、一昔前は、ホワイト、ブルー、カーキ色の3色があったのがヨーロッパなのです。この辺を語りだすときりがないのですが、今のヨーロッパは、youtubeで流れる石破政権のやばさと何ら変わらない緊張が流れているのも事実です。スペインの異常な山火事が、連鎖して、経済や平和等のバランスを崩さねばいいんだけれども、2025年の最終章は、こうして始まったのでした。

2025年8月11日
by 小野田
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マドリッドは涼しいぞーの巻

8月10日土曜日、マドリッドは、誠に閑散として、日中は、からっとした40度近い気温のスペインですが、誠に持って湿度がないので、すがすがしいの言葉が、フィットするマドリッドです。一頃、スペインのお勤め人、夏休みを一か月とる人が大半でしたので、夏のマドリッドは、閑散が常識でした。所がスペイン人もピレネーを越えるとアフリカの考え方をとっくに卒業して,夏半分、クリスマス時期の休暇、半分という休暇の取り方が主流を占めるようになり、マドリッドの夏の商売も、成り立つようになりました。
 ダウンタウンは、相変わらず、外国からの旅行者でにぎわっていますが、地元民が住むMADRIDの北に位置する場所は、誠に持って木陰でのんびり、うたたねなどを楽しんでいる、貧乏人がエンジョイしています。
面白いもので、腰痛で、腰を曲げて、のたうち回っているうちに来院する患者さんも、それでは、来週と促すと、明日から、バケーションですといけシャーシャーと答えます。痛みも苦しさも、休暇は別腹のようで、夏休みをエンジョイする姿は、やはり、日本人とは、まったく違った頭を持っているようです。
 結構6月にローンを組んで、旅行を計画して、10月にアップアップしているスペイン人は、そうです。この人たちが、伝統を受け継いだマドリッド人、宵越しの金は持たないキリギリスさんなのでした。キリギリスなんだけど、スペインの底力は、休みも取るし、外食もする、旅行もエンジョイという輩が結構います。一生働かないでもなんとかなる人が、結構いるという事実がスペインにはあります。まだまだ伯爵や貴族の称号が、現に存在するスペインは、誠にもって底力があります。代々受け継いだ財があるからなのでしょう。それと相続税が、ほとんどないという事実も後押ししているのかもしれません。
 日本で騒いでいる例えば外国人が、不動産をゲットするという危機感は、確かにこのスペインでもあります。マドリッドの高級住宅街のマンションは、中国人、ベネズエラ人、メキシコ人に買いまくられて、確かに日本でいう民泊が好き勝手にやられているし、アンダルシアという海岸沿いのビユーのいい所は、ロシアのマフィアや北欧の小金持ちが、買いまくっているし、商売にしてもよくわからない中国人が実は、店には出てこないけどオーナーだったリ,お金オンリーは、世界中どこに行っても同じかもしれません。
ここの首相も、中国と妙に仲が良く、コロナの頃、中国製のマスクの商売を家族がやって、バカバカ儲けたという噂もまんざら嘘でもないみたいです。全体的に今の政府は労働党なんだけれども、賄賂は、日常茶飯事だし、かといって、右の国民党にリーダーはいるかというとそれも疑問だし誠に混とんとしている事実は確かにあります。
 ヨーロッパのどの国も移民問題で、アップアップは、事実のようです。ただヨーロッパは大陸です。日本のような吹き溜まりではありません。日本は単一民族で、日本中どこに行っても日本語が通用します。ここが利点でもあり欠点でもあります。日本人の外人という言葉は、主に白人を指しています。アジア人も外人ですが、特に韓国人、中国人も外人なんですが、ちょっとニュアンスが違うのは、40歳以上の純の日本人なら理解できると思います。ヨーロッパで移民問題は、失敗しました。確実に失敗です。今侃々諤々の日本は、難しい時期にあります。こんなこともあり、国籍純日本のおじさんが、今まで懐の深いスペインに満悦してきたんだけど、果たしてどこで朽ちようかと、閑散としたマドリッドで、ボケっとしながら試考中なのでした。
朝夕の涼しさに今更ながらマドリッドに乾杯。

2025年7月7日
by 小野田
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まだまだ死ねない

 毎年7月を迎えると、何とか今年も、耐えたかなーと一安心するのでした。12月31日は、一年の終わりで、これまた別の意味で身が引き締まります。この7月というのは、ヨーロッパのほとんどの国は、年次の終わりなので、学生さんも、仕事人も何とか耐え忍んだと一安心する季節なのでした。そして長い夏休みが、訪れるのでした。6月の終わりから9月の第2週までが学生さんのホリデイです。
 70年代、80年代に海外雄飛を夢見て、ソ連のアエロフロートやシベリア鉄道経由で、何かを求めて、金もないのに、フラフラと性懲りもなく北欧に辿り着き、スウエーデンあたりで、アルバイトをして,フリーセックスなんていう嘘の宣伝に踊らされて、皿洗いをして、お金を貯めて、南に南に南下して、辿り着いたのが、ピレネーを越えるとアフリカの地スペイン、そこの物価の安さと、人の好さに甘えて、浦島太郎の人生の人も、なんやかんやで、リタイヤの季節が来ました。こんな日本人結構多いみたいです。
青年よ荒野を目指せ、安く行くヨーロッパ、何でもかんでも見てやろうとか、もうたくさんのいい加減な本が出版されて、読んでいた時代の真っただ中にいたのが、中途半端な私たちの時代なのでした。三島由紀夫の割腹が、高校2年生だったのは、何故か忘れもしません。
 小生は、パリまでの韓国航空の飛行機の券を購入して、パリからは夜行列車があるという事で、計6人が、座れる、一室の空間の一人としてモロッコ人のおじさんおばさんの中に一人日本人が、お邪魔虫で入り込み、暑い、足が臭いの地獄の夜行列車を経験してマドリッドに辿り着いたのでした。
 あの頃は、日本円の価値がなく、誠に持って貧乏旅行でしたが、若いのが、金がないのは常識で、ひもじかったけど別に苦とも思わなかったし、むしろ楽しかった感が今でも自分の奥底に残っています。あの頃の一期一会、出会ってはサヨウナラの繰り返しは、結構勉強になったとは思ってますが、いいホテルに泊まって、いい食事をしては、あの頃は思ってなかったですね。苦が楽しかった時代でした。
 またバルセロナのランブラスで、針金で、自転車を造ったり、マラガの海岸で収集した石ころをきれいに磨いて、そこにエナメルのペンで、誕生日の星座を漢字で書いて、ペンダントを作って、路上で売っていた、自称ヒッピーさんも、今では、どこでしのいでいるのでしょう。
 そんな威勢の良かった長髪の薬草をコンサートで吸っていたおじさんたちも、今では、老人ホームで、スペイン人の小裕福さんと一緒に、お遊戯したりしている時代になりました。
 そうです一時代が、確かに終わろうとしています。
 また6月いっぱいで、MADRIDの北に位置して、一時代の黄金期を作った、レストラン帝(みかど)が55年の歴史に幕を閉じました。造り(内装)にお金をかけたレストランで、一頃は、スペインの各界の有名人が、ここにくれば、いつでも見られるほどのパパラッチの集合ポイントでもありました。時代の流れの一言で、解決できないほど、走馬灯は尾を引くのでした。武漢ウイリスの2年間に及ぶ大嵐が、トリガーなんですが、やはり時代の流れの一言で、解決しちゃうのがベターなんでしょうか。
 今では、外国で暮らしたいなんて考える若者が減って、ワーキングビザで来て、適当にやって適当に時間をつぶす類が多くなって、日本の若者も価値観が変わって、面白くない人間が増えたみたいだけど、人それぞれ勝手にやればいいという考えの小生なので、それはそれでいいとして、アメリカの属国と言われた時代を経て、今度は、中国に乗っ取られるぞーと騒ぐ日本になり。外から見ているとハラハラドキドキ、外から日本を見ていると売国奴の国会議員さんがはびこる世の中、まだまだ感傷につかるのは早すぎるぜ。野次馬根性で、もうちょっと世の中の移り変わりを見届けようと思う今日この頃なのでした。
 

2025年6月18日
by 小野田
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いい顔してるね

 6月の13日、14日15日とイタリアのローマに本拠を置くヨーロッパ指圧浪越のメンバーである、ポリドリ先生のグループの定期講習会に行ってきました。ポリドリ先生が喉頭がんでお亡くなりになって、かれこれ3年が経過しました。パンデミックの前にお亡くなりになり、ポリドリ先生は、パンデミックの嵐を受けることなく指圧界が順調に動いている最中にお亡くなりになったので、いい時期だけを知っているポリドリ先生なのでした。指圧の世界に入ったのも私と同じくらいで、何回も指圧の世界大会に私はスペインのメンバーを引き連れ、そして彼はイタリアのメンバーを引き連れ合流しては、技を交換し合ったあった同志なのでした。
 彼のグループは、国からの指定を受けた身体障碍者を奉仕で指圧治療をする組織を立ち上げて、国の厚生省のバックのもとに厚生省所有の建物のサロンを無料で借りて、週2回ほどのペースで奉仕指圧を、かれこれ25年続けています。パラリンオリンピックの選手たちが、頻繁に治療を受けに来院しています。25年の歳月を奉仕指圧を続ける、この継続があってこそ、イタリアの指圧の歴史の重みを感じます。
浪越指圧のヨーロッパ普及も、かれこれ40年が経過して、徐々に指圧の良さをアピールしてきましたが、もう一方の指圧団体として禅指圧という増永静人先生の流れをくむ団体も連合を組織して活動しています。この連合はイタリアでは、広い普及率を誇っています。その他、ニューヨークから大橋渉先生が自らのオーハシアツという指圧を創設して盛んに講習会を開いています。
特にイタリアは、ポリドリグルループのボスであった、ポリドリ先生が、歴代のイタリアの首相を指圧をしてきた歴史がありますので、やはり指圧ファンの数がヨーロッパで一番で、あることはいうもでもありません。
 本当に不思議に思うのは、スペインのグラナダは、アルハンブラ宮殿で有名です。そのグラナダでは、何と指圧のファンが沢山います。日本の駅前の何何マッサージサロンより数段上のランクの指圧師が、自らのクリニックをもって、ある時は、疲れた体の日本人がネットで探して受けに来ています。なんと純の浪越指圧を施術する治療師が常時スタンバイしています。イタリアのローマ然り。キプロス島然り。オランダ然り。指圧は、SHIATSU で、通用します。余談になりますが、スペイン そしてSHIATSUでネット検索をお願いします。ボンボン指圧の情報が出てきます。群雄割拠を戦い抜いていまだ戦いが、継続中です。
話が変わりますが ついこの前まで4人に2人が癌の確立、そして今では、2人に1人が、現代人の癌の確立なんだそうです。イケシャーシャーと医者が、生活習慣病と言い始めました。そうじゃないでしょ。生活の常識が変わり電磁波、遺伝子操作、加工添加物、精神をむしばむ現代の異常な生活のリズム等、数え上げたらきりがない生きずらしさが、病気を作っているのです。そうなんです。それじゃ―残された余命をどういきなければ、ならないのでしょうか。そんな疑問がふと浮かぶこの頃です。
 そうだなー、余生を後悔しながらただただ生きるのではなく、一人一人が体に良いことを見つけて実践すればと、我自身が、ふと、気づいた今日この頃なのでした。
 自分の勘を磨く生活、自分自身の体からの警告を素直に聞き取る耳をもち、ラッキーな人生と笑顔で、暗唱して、自分をほめてやる、この言葉をいつも寝る前に暗唱。
感謝、感謝、親父、お袋が、丈夫な体を授かってくれたことに改めて、ありがとうも付け加えて、死ぬまでいい顔つくり。今回も文章がバラバラだけれど、感情のまま列記。それでは、今日の仕事終了。

2025年5月23日
by 小野田
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移民

5月も後一週間と本格的なマドリッドのダラダラが始まらなきゃならないんだけれど、まだまだ朝晩が、冷えて着るもの一枚ほしいこの頃です。通常のマドリッドなら日没が、日本のサラリーマンのそろそろ一杯飲んで帰宅の時間に相当する夜の8時半ごろなので、道端にあるテラサに腰かけてビールなどの一杯が、まだまだ肌寒いので、妙に町に活気がありません。日本も米騒動とか財務省の批判デモ等、日本も今一の形相です。石破さんになっても、良くなるどころか、無策丸出しで、あのねちねちした答弁をyoutubeで見るたびに、あのタイプの友達は、いないので、今を生きる日本人のアンラッキーを垣間見る思いです。移民の問題は、確かにヨーロッパは、10年、20年先に行ってる気がします。
つい最近のオリンピック、特に目立ったのがフランスの選手団でした。フランス人形のイメージ、顔が黒い人形は論外でしょ。顔が真っ白で、目がブルーそして髪の毛が金髪。フランスの選手の多くが黒人じゃないですか。パリからちょっと離れた郊外のちょっと階級の低い住宅街、中東系かアフリカ系の人がうじゃうじゃです。確かに成功者もいるし、政治家もいます。しかし目立つのは、やはり貧困層です。昔々、フランス、イギリスを筆頭にアフリカの国々を植民地化して、甘い汁を吸っていた時代に100年後は、ブーメラン化して移民問題が起こるよとの警告を放つ専門家もいたろうに、今の現実がこれです。
 ポルトガルの飛行場に到着すると黒人が目立ちます。マドリッドに到着すると至る所に中南米人が目立ちます。その国特有のスペイン語のアクセント、微妙に違うスペイン語が至る所から聞こえてきます。隣国のモロッコ人も、スペインの至る所にいます。オリーブの実の収穫期になると臨時雇いのモロッコ人が、スペインの南のアンダルシア地方にワンサカ結集します。ワインの有名なリオハを筆頭にブドウの収穫期には、やはりアフリカ系の人やモロッコ人、ルーマニア人などが、出稼ぎに来ているみたいですが、労働許可証の有無、すなわち合法か、違法かは、わかりませんが毎年その季節になると動いてますので、そんなもんなんでしょう。大陸のいい所、悪い所があるようですがこの移民問題は、ヨーロッパでは、十分討議されて、専門家がああだこうだと動いているのにあまり芳しいとは聞いていません。フランス、イギリスを見ればわかるようにの各国、頭の痛い問題のようです。
 日本の場合は、特にお隣の国、中国、韓国の見えない脅威を心配していますが、中国や韓国を統治下にしていた時代がありますよね。そしてその人たちが、一時期、日本国の戦争に参戦させられたリ帰化されたりされた時代がありますので、その時のブーメランがヨーロッパやアメリカ同様に飛んでくるだろうことは、予想できたし、この辺を今、一部の保守の人が騒ぎ出していますが、もう遅いとは、言わずにこれからでも政府が真剣になって動けば賢い日本人は、もう一度日本人魂をよみがえらせて、少なくてもチベット化は、防ぎたいものですね。
 スペインも港のあるマラガ、ヴァレンシア,アリカンテの港近辺は、中国人だらけの状態であることは、真実です。今の首相は、断然中国とのお付き合いは長いみたいです。この辺の懐の深さは、さすがスペインなんですが。結構やばさを感じる今日この頃です。外から見る日本、結構やばさを感じるのは、私だけではなさそうですね。