2026年1月19日
by 小野田
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普段は、変なおじさん

 昨年日本への帰国の際、プロ向けの指圧セミナーに招待されました。その時に指圧の先生で,その上、イラストのプロの先生である近藤先生が、私の講習会のために私の略歴を記述してくれました。非常にそして妙に、胸をくすぐる文章で、紹介してくれました。ここで、その宣伝略歴をご紹介します。

  小野田茂先生 特別研究会「指圧へのこだわり」
日時   2025年9月 17日
日本指圧協会神奈川支部
支部長 黒澤一弘治療院にて
近代指圧の父、浪越徳治郎が灯した指圧の炎。その情熱を直弟子として受け継ぎ、遠くヨーロッパの地で40年近くにわたり、その光をさらに大きく輝かせてきた一人のマスターがいます。
彼の名は、小野田茂。 1984年、師である浪越徳治郎の「世界に指圧を」という言葉を胸に、単身スペインへ渡った小野田先生 。彼は、マドリードを拠点に指圧治療院と学校を設立し、欧州全土に浪越指圧の礎を築き上げました 。しかし、彼の功績は単なる普及活動に留まりません。
日々、西洋人の身体と向き合う中で、彼は一つの問いに行き着きます。「日本人と西洋人の身体構造の違いに、どう応えるべきか?」 。この臨床的洞察から生まれたのが、浪越指圧を基盤としながら、西洋人の骨格やライフスタイルに最適化させた独自のメソッド「阿是指圧(Aze Shiatsu)」です 。
今回の神奈川県指圧師会定例研究会では、この小野田茂先生を特別講師として招聘。
指圧の「原点」を知るマスターが、いかにして伝統を「進化」させたのか。その軌跡、哲学、そして明日からの臨床に生きる具体的な技術論まで、余すところなくお話しいただきます。
「The Way of Shiatsu is a way of feeling Life.(指圧道は生命を感じる道)」 この言葉は、小野田先生の実践に対する究極的な見解を凝縮しています 。 指圧の目的は単に症状を取り除くことではなく、生活の質を向上させ、人々ができる限り健やかに、バランスを保って生きる手助けをすることにあります 。指圧は、単なる医療行為ではなく、深遠な芸術形式、すなわち「日本の技、そして芸術」であり、その単純で原始的に見える姿の奥にこそ、深い真理が隠されています。

【講師プロフィール】 小野田 茂(おのだ しげる)日本の指圧を世界へと導いた探求者、小野田茂先生の歩み。
その原点から、欧州での指圧の確立、そして独自の理論「阿是指圧」の創設に至るまでの軌跡を辿ります。
1981年:日本指圧専門学校(第25期)を卒業 。 近代指圧の創始者である浪越徳治郎氏の直弟子として、その技術と精神を直接学ぶ 。
1984年:浪越徳治郎の「世界に指圧を」という理念を胸に、指圧普及のためスペインの首都マドリードへ渡る 。 同地にて、自身の指圧治療院「Clínica Maestro Onoda」を開設し、欧州での臨床活動を本格的にスタートさせる 。
1994年:後進の育成と指圧教育の基盤を築くため、マドリードに「日西指圧学院(Escuela Japonesa de Shiatsu)」を開設 。
2000年:スペイン国内での教育拠点を拡大。アンダルシア地方の中心都市マラガに、日西指圧学院の分校を開設 。
2002年:欧州における浪越指圧の連携と標準化を目指し、「浪越指圧ヨーロッパ(Namikoshi Shiatsu Europa)」を立ち上げ、その代表に就任 。
2007年:『圧へのこだわり』を出版。指圧の根幹をなす「圧」の技術と哲学を深く掘り下げ、理論家としての一歩を記す 。
2010年:独自の理論体系である「横臥へのこだわり AZE SHIATSU』を出版 。
2011年:カタルーニャ州の州都バルセロナに日西指圧学院を開設し、スペイン国内での教育ネットワークをさらに強化 。
2012年:欧州における指圧の地位向上と国際交流の促進を目的として、マドリードで「第16回国際指圧大会」を主催。大会の成功を導く 。
2015年:自身の理論の集大成となる『阿是指圧 伏臥位・仰臥位・座位の基本施術』を出版 。
現在まで:スペイン、ポルトガル、オランダ、南米の読者に向け、合計14冊以上にのぼる指圧の専門書を執筆・出版 。
長年の臨床経験から、独自の「阿是指圧(Aze Shiatsu)」を確立し、その指導と普及に尽力 。
日西指圧学院院長、および浪越指圧ヨーロッパ代表として、世界で最も影響力のある指圧マスターの一人として知られている。

2026年1月12日
by 小野田
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新春2026年

 12月㏥、12月8日は、どういう訳かスペインの休日です。この季節が来るとクリスマスが始まり今年も、もう終わりなんだと妙に、真顔になる季節でもあります。ここまで書いて、終わっています。
 今日は、なんと2026年1月12日確か成人の日ですよね。昔、成人の日は、確か違う日だったような気がするのですが、なんだかボケの段階に入ったみたいです。よくあることで、顔は、イメージ出来ているのですが、名前が出てこない、まさしくこの状態に陥ることがしばしばです。
 数日前にベネズエラの大統領が、拘束されてアメリカに護送、そして拘束というハリウッド映画、私の時代ですとまさしくスターローンのランボーが、出てくるような活劇が演じられました。中米は、グアテマラ、パナマ、キューバ、メキシコと指圧のセミナーで、行ったことがありますが、カラカスは、どういう訳か、行こうとは思わなかった国の一つで、患者さんにベネズエラとメキシコのおばさん連中が何人かいるので、ベネズエラとコロンビアだけにはいくなと言っていたことが妙に現実みを帯びてきました。
 昔は、アメリカ寄りの比較的裕福な国だったとカラカスで、銀行のえらいさんをしていたスペイン人と、よく昔を懐かしむ会話をしたことがありましたが、チャベスの時代になり、石油関連を国有化しだして、もうめちゃめちゃ、その後継者、その拘束されたのがあのおじさんです。
 何年か前、キューバに行った時にソ連人が、若いキューバのお姉ちゃんとホテルで嫌と言うほど遭遇した時の現実感をアメリカはアメリカの裏庭で左傾化する南米の国々を見てトランプがやばいと思ったのもふんふんとうなずけます。今は、昔ほど指圧セミナーが、南米で開催されないので、行く機会が減りましたが、確かにあの国々で過ごした日々は、緊張感の塊でした。
 youtubeで南米旅行編をよく見ますが、良くあんなスラムに入れるなーと、感心することがしばしばです。無知の一言で、家族が泣くのは、確かに残酷です。スペイン人でさえ遭遇する,盗み、かっぱらい、誘拐、殺人、知らないから動けるこの一言に尽きます。娘が、息子が行方不明、親父お袋が捜し歩く、これも悲惨の一言です。この平和なスペインだって、タクシーの運転手が、ここは誰も連れて行かないといった場所は、沢山あります。まさに入ったら帰ってこられない場所には、地元民は、行かないのです。私が、若かりし頃、南米を旅をした時は、必ず華僑のおじさんに旅先の行き先々のホテルを紹介してもらって、ホテルの安全性を高めて、眠る場所を確保した記憶があります。今は、ホテルだけはいいホテルをの年代になりましたので、若い時を懐かしむおじさんになりました。
 今は、温泉、豪華な食事、気楽、こんな感じがいいし、もう冒険は、よかとよの心境です。新春ブログ第一弾、一頃、スペインで知り合った村山さんが、たまに私のブログに便りをよこしてくれたんだけれど、この頃ご無沙汰です。お元気でしたら、元気の一言を発信ください。今年は午年、勿論野次馬でGO GO。

2025年11月27日
by 小野田
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DR石塚寛 日本指圧専門学校 前校長

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合掌
解剖学のエキスパートとして晩年まで、精力的に活動なされたDR石塚寛先生が、2025年11月4日にお亡くなりになりました。享年92歳でした。
ISHITUKA 1-1
日本指圧専門学校の校長として長年活動していたのは、周知の通りですが、解剖学の権威として生徒にさりげないアドバイスをし続けたことは、あまり知られていません。
私などは、指圧の本を製作するにあたり、石塚先生に献上したところ、半年ぐらい後に、未熟な指圧の私の本が、真っ黒に染まるほどの訂正が、なされた本が返ってきました。
なんと暇を見つけては、間違い探しをして、訂正してくれたとのこと、大変感動いたしました。
第2版のすりおろしに出版社とごたごたしながらも、全てを校正した本を世に送り出すことができました。
そんな縁もあり計5冊の自著の解剖学部分の校正、監修をしていただきました。
出世払いという事で、甘えたままで終わってしまいましたが、DR石塚先生には、大変感謝しております。
指圧をエビデンスという言葉に絡め、料理をしては懇切丁寧に生徒に伝授することに情熱を注いだDRです。まさに世界一の解剖学者でした。
今でも私の記憶に残るのは、ハワイ大学医学部の解剖実習の講義です。あの迫力ある解説は今でも鮮烈に、私の記憶に残っております。
帰国するたびにご挨拶に校長室にはせ参じましたが、本が、至る所に散乱していた記憶があります。小野田君記録に残しなさい。本をドンドン世に出して指圧の概念を払拭しなさいと何回も肩をたたいていただきました。思い出は尽きませんが、DR石塚寛校長の御恩を一生、忘れずに謙虚に指圧道を歩みたいと思っております。
ISHITUKA 1-2

結手    

塾指圧プラクター塾長
小野田茂

2025年11月11日
by 小野田
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DEN HAAG(オランダ)指圧セミナー

昨年の2024年10月の最終週末、オランダの指圧の団体に招待されて2日間の講習を受け賜りました。
テーマは、阿是指圧セオリーに基づく、四の首の一つである腰部(首れる部位)がテーマでした。
(四の首とは、手首、足首、首・頚部、腰部の四関節部位の治療の推奨)この四か所の関節部位は、動きを潤滑及び、より精巧に作動するために小さい骨が、いくつもあります。体の動きの要の部位である一方、無理な衝撃を受けやすい部位でもあり、またストレスを極端に受ける部位でもあります。
この四か所の狭くなった部位、経絡の関所でもある四の首をいつも正常に維持するために、
常に四の首の治療をして体のバランスを整えることが重要です。
腰部は、構造上、骨盤底筋、腎臓、横隔膜、脊柱起立筋等が腸腰筋と筋膜によって、つながっています。
この事を念頭に置いて背部の問題を腹部で解決する按腹治療のセオリーにのっとった指圧療法を伝授しました。

2025年10月26日、27日
DEN HAAG指圧セミナー

そして今回、2025年のオランダDEN HAAG でのセミナーでは、首の首と題して世界中で依存症が増加の一途をたどる現代病ともいえるスマートフォン症候群の治療を伝授しました。
今回この指圧學校の顧問である日本指圧専門学校卒業の宮本先生は、不在でした。
講習参加者は、約30人、ベッド15台を並べても充分スペースのある場所での講習会となりました。
準備体操1-1 講習風景1-2
スマホ病とは、スマートフォンの長時間使用によって引き起こされる、心身の様々な不調の総称。
具体的には、首凝り、肩凝り、頭痛、眼精疲労などの身体的な症状(スマホ症候群)や、スマホなしではいられない精神的な依存(スマホ依存症)などがあります。
スマホ依存症とは、「スマートフォンの使用を続けることで昼夜逆転、すなわち不眠症を誘発。
一般的な日常の生活において様々な問題が起きているにも関わらず、使用がやめられず、スマートフォンが使用できない状況が続くと、イライラし落ち着かなくなるなど精神的に依存してしまう状態のことを言います。
西洋医学では、心身一如の理解が不足しているために、意外に難儀なようです。しかし東洋医学の一環である指圧治療は、難なくこの手の治療を施し非常に良い結果を生んでいます。
指圧の特徴である全身治療はもちろんのこと
特に頚部の治療(硬結ポイント治療)を右利き、左利きの体の使い方を考慮した指圧治療法をレクチャ―しました。
参加者の中に、1981年に日本指圧専門学校がプロモートした外国人の為の指圧教室に参加した経験のあるオランダの先生が、いらっしゃいました。お名前は、TRUUS TSUCHIDA HOGENAAR というご婦人です。長年指圧治療をオランダで、営んでいるとのお話でした。
またオランダでは、指圧治療が、民間の医療保険の適用があり、大変ポピュラー化されているとのことでした。
指圧教室1-3

44年前すでに日本指圧専門学校は、指圧の海外普及をしていたことになります。ちなみに先生は、浪越満都子先生と佐々木先生とのことでした。
指圧教室1-4 指圧教室1-5
世界中で携帯電話が使用されています。すなわち世界中に指圧治療適用の患者さんがいるわけです。
こんな絶好な機会をほっとく手はありません。改めて指圧の可能性を問われています。指圧の花を咲かそうではありませんか。という事で、パンデミック以降鳴りを潜めていた指圧普及の動きが、再びEU諸国で見えてきました。
2日間の講習は、あっという間に終了しました。今回も、アムスステルダムのホテル大倉の橘指圧治療院で20年間働いていた、日本指圧専門学校出身の宮本先生が、応援に駆けつけてくれました。

反省会1-6 修了証授与1-7
追記
現時点のオランダは、労働許可証が、非常に取りやすくなっております。またワーキングホリデーを利用して就労している卒業生が、何人かいるとのことです。
オランダは、移民問題にて、確実に失敗しているにもかかわらず、まだまだ海外で働くチャンスを与えている姿を見ることができます。沢山困難が見え隠れしていますが、クレバーなオランダは、試行錯誤しながら、確実に前に進んでいます。
日本も見習わなくては、ならないことが沢山あるようです。
来年も招聘とのことで、セミナーは合格点だったようです。やれやれ無事にスペインに帰国しました。

塾SHIATSUPRACTER 塾長
小野田茂

2025年11月2日
by 小野田
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インバウンド

この投稿文が、丁度500回らしい。雑文をボケ対策の一環として初めて、何年が経過しただろう。一回の投稿文が大体1600字、原稿用紙4枚を目途にしているので、1600文字 × 500回だから結構書き乱れたかもしれません。継続は力。2万時間、患者さんを治療して初めて一人前と、うんちく野郎に言われて14年かかって2万回、患者さんを指圧したのを考えれば、この程度のことは、と思うのですが、親からもらった丈夫な体が、あってこその奇跡で、お袋、親父には、改めて感謝です。
 記念すべき今回の雑文、帰国感想文パート2でまとめてみましょう。
 実家での居候は。経済的にはグッドなのですが、娘と孫にとっては、ボロボロの古民家如きの実家は、寒くて、不便でしょうがないらしく、鶯谷と上野の中間に位置する入谷にキッチン付きの宿屋、鴬に宿泊を変えました。
 旅館鶯(うぐいす)という宿泊施設、最後の最後まで受付には誰もいませんでした。娘が、ネットで探して、玄関と部屋は、クレジットのお金の入金が,okであれば部屋の開閉の暗証番号が届くシステムで、全て携帯で、やり取りするシステムは、娘の世代は難なくクリヤーのようです。ゴミ掃除、敷布の交換は、アジア系の外人が不愛想に仕切っていました。なんとなくオーナーが、日本人ではないような気がしたのですが,恐らく、、、、、、人でしょう。
 帰国時に羽田までの交通手段を考えて、東京の下町の、手ごろな旅館を選びました。私の感想としては、子供ずれの日本の旅は、まだまだ改善の余地がありそうです。
 しかしちょっとした遠慮気味の日本人の親切は、外国人には身に染みるだろうと思った次第です。
 鶯谷と上野の間、誰が命名したのか、奥浅草というんだそうです。言問(こととい)通り、(東京都文京区の東京大学本郷キャンパス前から、台東区の言問橋までを東西に結ぶ都道の通称です。沿線には東京大学のほか、浅草寺などがあり、その名は平安時代の歌人・在原業平の有名な歌に由来します。)を行ったり来たりして3日間を過ごしました。
 要は浅草まで徒歩で歩くのですが、普段なら浅草のシンボル仲見世の始まりの大きい提灯からスタートから浅草ツアーが、スタートするのですが、今回は、裏手から入ってゆく感じでした。
 浅草六区は相変わらずごちゃごちゃしてましたが、東洋館の隣のパチンコ屋には、朝の10時前という事で、パチンコ依存症の若者が長蛇の列、日雇いぽいのもいたけど、ボーとした若者が、パチンコ屋の開店を待つ姿は、異常な風景でした。対面が、場外馬券売り場、そして沢山の外国人、ドン・キホーテにユニクロとくれば、確かにオールスターの形相でした。
嫁さんは、渋谷派、私は、上野界隈派で、帰国すると上野界隈を本拠地にして買い物などをするのですが、ここ数年の外人さんの数は、想像以上のようです。確かに一頃1ユーロが、120円前後をうろちょろしていた時期がありましたが、今は、1ユーロが170円前後で、完璧な円安です。ユーロ圏の外人は、日本の物価におどろきの連発です。その上、丁寧な接客は、確実に好感度100パーセントです。
 その一方で、日本人の親切心を悪利用する外人は、確かにいるだろうなと不安視した次第です。ごく少数なんですが、ひどい奴は、どこにでもいるものです。そんなやつには、日本語でどんどん文句を言えばいいのです。なめられて溜まるかの根性が大切です。
 個人的にみるとどういう訳か、スペイン人の旅行者が、妙に目立ちます。スペイン人に聞くと、日本旅行がブームなんだそうです。そんな訳で、イベリア航空は、ほくほくだそうです。
 普段はいかないんだけれども、今半のすき焼きランチを堪能、30分待ちも何のその、接客が完璧でした。入谷鬼子母神前のNODAYA さんでウナ重を完食。そのほか妙に携帯からの情報を重視した背景には、携帯情報に毒された娘の影響が、大なのでした。一番嫌いな、並ぶことをして食に食らいつくのも、たまにはいいかと笑顔をもって理解のあるお父さんを演じて見せたこうこうお父さんなのでした。

2025年10月30日
by 小野田
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日本はいいよなー

 2年ぶりに日本の土を踏みました。今回は、娘と14か月目の孫のベラちゃんとの旅で、娘に一杯食わされたのを承知で、そして甘いお父さんを演じての日本旅行でした。娘は、親父の経済力と赤ん坊のお守りの助手として、わたしを巻き込んだのであって、案の定、飛行機内のヴぇラちゃんの機嫌を見ながらのお守りの助手は、正直しんどかったの一言でした。ただ機嫌の悪い時は、赤ん坊は泣くのが商売ですので、これは仕方のないことですが、飛行機の高低の差での耳鳴りにおいては、まったく無頓着でしたので、確かに助かりました。
 今回の飛行機の会社名は、キャセイパシフィック航空で、香港経由のルートでした。半年前に買った搭乗券ですが、何年か前と比べて非常に航空券の値段が、上昇していて、普段は、イベリアの直行便で行くのを常としていましたが、一般的に飛行機の券が、ゲットしにくく、適当な妥当値段のキャセイパシフィック航空にお世話になりました。食事は、イマイチ,帰路の飛行機内は、寒いよと、旅行通の友達にアドヴァイスを受けていましたが、案の定,食事イマイチ、食器の後かたずけが、遅い。そして帰路の飛行機内が非常に寒いというアドバイスは、大当たりでした。燃料費をセーブしているのではないかと疑うほど、一昔前のソ連のアエロフロートを思い出させました。しかし総合得点は合格だったと思います。
 羽田に到着。普通であれば、大宮行きのリムジンに乗り実家に帰るのが、いつもの予定ですが、無理をしないという事でタクシーで行くことにしました。大宮までは、2万5,6千円とのアドバイスでOKして、いざ出発、到着は、なんと1万7千円でした。リムジンは,大体一人3000円ですので、3人で9千円、苦労を引いたら、安いんじゃやないかと思った次第です。運転手さんにお礼をあげて,よかったよかった。しかし30分後、娘が、タクシーの後部座席に携帯電話を置き忘れたと騒ぎだしました。運よく、領収書をもらっておいたので、領収書に書かれた最寄に電話をして、話をして一安心、スタンバイの状態になりました。30分後、タクシー会社から電話があり、宅配で、届けるとのこと、まったくもって、娘は、驚きの顔、スペインでは,何かを、落としたらほとんどが戻らず、盗まれたら、書類上のことのみで警察に行きます。再発行の時に落とした、または盗まれたという証明書が必要になるからです。そんな書類を作成するために警察に行き、手続きをして、それ以上の進展はなしで、お終いがほとんどです。2日後に宅配到着、一件落着。落とし物が返ってくること自体が、奇跡のよその国。外国人は、マー驚くことでしょう。
 帰国をするたびに、地元の大宮の変わりようには驚かされます。駅前の西口近辺が、私の少年時代の遊び場で、まだ田んぼがあった記憶があります。同級生は区画整理で、徐々に引っ越しを余儀なくされて、ほとんどの仲間が、引っ越して、この地を去ってしまったので地元の意識がもうありません。ひと昔前は大宮は、確かにまだまだ田舎でしたが、京浜東北線の終電の大宮が、新幹線は止まる。埼京線は走る。他にも訳の分からない列車が走り、ここに育った私でさえ、戸惑うことがあります。
毎回帰るたびに、立ち寄る団子屋も、第代わりしてまずくなったし、満々亭も何処に行ったやら、押田文具屋さんは、まだまだ健在で頑張っているので一安心。それにしても帰宅するたびに帰路は中山道の国道を渡るんだけれど、車が,通ってないのに信号赤なんで、青になるまで待ちますよね。スペインでは、絶対、車がいなければ赤信号でも渡るんだけれど、日本に帰ると信号を守る自分は、やはり日本人だとうんうんと頷くのでした。
追記
何やかやで、子供と行くのは、もうこりごりだーと実際何度となく口に出しかかりましたが、人生秒読み終了の一歩手前の自分が,奇跡的に2週間という日々を孫といられたという事は、後にも先にもこれ一回だろうと思うと、これはこれで満足なのでした。
普段は、飛び回る2週間ですが、孫のお陰か、ゆっくりできたことに、これはこれで、感謝感謝なのでした。

2025年9月26日
by 小野田
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しないでいられないことをし続けなさい。

 断捨離で書き物の整理してたら、若かりし頃の文章が出てきました。なぜスペインくんだりまで来て指圧を始めた訳の分からなさが、今も続くおじさんの、悩み多き昔昔の、自分自身への励ましの文章みたいです。あの頃は、プロフェッショナルの意味を確定できずぬに悩んでいた時期だと思います。今は、力まず、限度の一歩手前で、終わらせる余裕が技に生じ、どうにか自分の心に少しは、謙虚さが、生まれてきたかな-と思っています。

どんな世界でもプロになるのは生半可なことではありません。資格取って一人前なんてのは、ただの幻想に過ぎないことは覚悟しておかないとすぐに潰れます.自身が選んだ世界の技術で,人々に認められ、かつ必要とされて仕事になることの難しさの第一歩が専門学校に行くということなんだと,あの頃は思っていました、。専門学校に入る目的は何ですか。もちろん手に職を持つ、手に職をもって食いっぱぐれがない世界に入り込む。一匹狼で生きてゆく。お山の大将になりたいために専門職の学校に入る。こんな感じが私の時代では一般的でした。
そしてたまたま入った世界が、その人にあっていれば、万々歳で、水を得た魚よろしく、のめりこんでゆく、ここら辺の先行きまで見て進路を決めることができる人は、マー何をやっても成功します。ところが、今の若いの、専門学校を卒業してその世界のちょっと大きな会社に入ってサラリーマン指圧師になって、まあーこれでいいかと、なんとなくやってる卒業生が多いと聞きました。そうなんだー、その上、親が学費を面倒見る若いお兄さん、お姉さんが、多いとも聞きました。それじゃ勉強しないなと合点したのでした。
 私の世界は、もちろん地味な世界ですが、よく言われるのがこの世界、大金持ちにはなれないけど、乞食にもならない。こんな感じで揶揄されているのが私達指圧の世界です。何年か我慢してやっているとなんとなく患者さんがついてやっていけるのがこの業界です。ただ少なくても3年は我慢しなくちゃ患者さんはついてきません。要するに3年間は赤字でもどうにかやっていけるお金を確保しておきなさいということです。
 こんな時に、じたばたする奴はマー失敗しますね。一発で痛みを取るテクニックの講習会、2日間10万円、安すぎてもダメ、高すぎてもダメ。専門学校卒業したての、お兄ちゃん、お姉ちゃん、この手がセミナー屋の餌食になるのです。
 治療して稼ぐより、セミナー開いて御託を並べた方が実はもうかります。当の私だって見習い時代、ずいぶんそんなセミナーに投資しました。帰国しては、そんなセミナーに出て、なけなしのお金をずいぶん分もぎ取られた経験があります。今考えるとすべて勉強です。肥やしと思えば安いものです。最終的には、指圧という柱がありましたので、ぶれなかったのが良かったのかもしれません。
 どんな世界でもやはりプロとして生き抜くには、運もあるし、その運の中で人との出会いがあります。運が良い人は、やはりラッキーなんでしょうね。同僚であったり、師匠であったり、本物がそばにいるとやはりブレが少ないので、その辺の運を呼び込めた人は、ラッキーな人といえます。
 サラリーマンに縁遠い人が、専門学校に通う。そして生き抜くノウハウを勉強する。これが専門学校の強みのはずです。医学部に入って卒業した翌日から医者として食べれるなんて誰も思っていません。調理人も調理学校を出て、すぐに使えるなんて誰も思っちゃいません。ジャーなぜ専門学校に行くんだい。それはね、自分があこがれた職種が自分に合っているか見極めに行くのです。あってないと思えばすぐに我慢などせずに違う世界を見つけるべきなのです。
 この世界でやっていけると思ったら、好きだったら何の苦もありません。その辺の見極めがつかないから中途半端な野郎が増えるのです。中途半端な奴が業界を下方に引っ張るのです。半端な野郎が一番たちが悪いのはどこの世界でも同じです。専門学校で基本のイロハを学べれば、それでよしも一理ありといったら語弊があるのでしょうか。
 浅く学んで、浅くそれなりに生きる。それも人生です。帝国ホテルのコック長、これもこれもよし。駅前の量で勝負する一杯そばや、それもよし。自分の人生、生き方に筋を通せば。全てOK.
こんな文章が残っていました。悩める時期にプロになる分岐点にいた自分への励ましの文章です。しないでいられないことをし続けなさいと漫画家の水木茂先生が言ってます。結局は、この言葉にに尽きるようです。

過去のこの日

2025年9月1日
by 小野田
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残り4か月で2025年の終わり

とうとう9月になりました。マドリッドは、誠にもってガラガラで、海行ったり,山行ったりみんな楽しんでいるようですが、海も山も人でいっぱい、ホテルは高いし、サービスが今一、この辺が相場ですので、マドリッドでダラダラしていたのが、正解かもしれません。乞食さんも、失業者も8月はバカンスなのです。一斉にスーパーマーケットの入り口で、おもらいしていたルーマニアの栄養たっぷりな体のおばさんも、一か月見かけませんでした。皆バカンスなのです。
 それでも、週一回指圧を受けに来る図書館で働くアナさんが言うには、国、自治体で、働く公務員になるために、国家レベル、自治体レベルの公務員試験が、10月にあります。この試験にパスするために、勉強する若者が、図書館にべったりで必死に勉強しているとのことです。
 政権がどちらかというと左寄りの労働党ですので、公務員は、やはりおいしい職業で、その手の試験に合格して、安定路線を求める、若者は、夢があるとか、夢がないとかガタガタいう前に、とりあえず食っていかなければ、ならないので、勉強で解決できるのであれば人生最初の壁を、逃げないでどう対処するかは、最初の試練という事で、いいんじゃないですか。日本の大学受験、猫も杓子も駅弁大学に一時避難して社会に出るのと訳が違うので、やはり大学は、こちらでは、まだ価値があるので、やるやつは、やっぱり勉強しています。
国立や自治大学が幅を利かしていますので、日本とは、ちょっと違いますね。偏差値の勝負ですので、誰も大学の名前で、大学を選びません。これはヨーロッパの大体の国々の常識かもしれません。すなわち学部のレベルで選びます。何をやりたいか、何を学びたいかで、大学を選びます。
 はっきりって、入るのも難しいけど、それ以上に出るのも難しいのがヨーロッパの大学です。ボンボン落とします。ただ出れば、勿論それからも勉強ですが、結構将来が見えてきます。
 勿論近年私立の大学も増えてきましたが、やはり私立の大学は、お馬鹿さんや俗に言われるボンボンが通う大学という認識がまだあります。ただレベルとは別に、就職は、私立の方が沢山あり、また大学と通じているのか結構名の通った会社に就職しているのも事実です。
 またコネで、会社に入れますかと聞かれたら、6割がコネでしょうと言われるぐらい親族経営が多いのも事実です。南米の国を例にとるとパナマなどは16の親族のグループが、パナマ国を支配していると言われるように南米を見れば、その国々を植民地にしていたのが、スペインですから、今では、目には見えませんが、コネの文化、血のつながりを貴ぶ風習は、まだまだスペインには存在しています。
 今は、労働党の支配にありますが、民衆党などは、まだまだ貴族社会が、落ちぶれたとはいえ、存在していますので、その辺のつながりや、何かわけのわからない結社というか、組織がうごめいているのも確かです。確かオップスデーとかいう、やたらに家族の人数が多い(避妊禁止)家族などが、うごめいているのも確かです。都市伝説とか、いうんでしょうか。
 近年は、薄れてきましたが、ホワイトカラー、ブルーカラーの違いは、お金がもうかるとかもうからないは別にして、まだまだヨーロッパでは存在しています。
 このカラーには、もう一つありました。一頃、スペインには、徴兵制がありました。徴兵制廃止から大分年月が経ちましたが、ウクライナ、ソ連の戦争が長引き、緊張の中、徴兵制の復活が、浮上している事実がヨーロッパにあります。一頃の平和が軍人さんを必要としなくなりましたが、一昔前は、ホワイト、ブルー、カーキ色の3色があったのがヨーロッパなのです。この辺を語りだすときりがないのですが、今のヨーロッパは、youtubeで流れる石破政権のやばさと何ら変わらない緊張が流れているのも事実です。スペインの異常な山火事が、連鎖して、経済や平和等のバランスを崩さねばいいんだけれども、2025年の最終章は、こうして始まったのでした。

2025年8月11日
by 小野田
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マドリッドは涼しいぞーの巻

8月10日土曜日、マドリッドは、誠に閑散として、日中は、からっとした40度近い気温のスペインですが、誠に持って湿度がないので、すがすがしいの言葉が、フィットするマドリッドです。一頃、スペインのお勤め人、夏休みを一か月とる人が大半でしたので、夏のマドリッドは、閑散が常識でした。所がスペイン人もピレネーを越えるとアフリカの考え方をとっくに卒業して,夏半分、クリスマス時期の休暇、半分という休暇の取り方が主流を占めるようになり、マドリッドの夏の商売も、成り立つようになりました。
 ダウンタウンは、相変わらず、外国からの旅行者でにぎわっていますが、地元民が住むMADRIDの北に位置する場所は、誠に持って木陰でのんびり、うたたねなどを楽しんでいる、貧乏人がエンジョイしています。
面白いもので、腰痛で、腰を曲げて、のたうち回っているうちに来院する患者さんも、それでは、来週と促すと、明日から、バケーションですといけシャーシャーと答えます。痛みも苦しさも、休暇は別腹のようで、夏休みをエンジョイする姿は、やはり、日本人とは、まったく違った頭を持っているようです。
 結構6月にローンを組んで、旅行を計画して、10月にアップアップしているスペイン人は、そうです。この人たちが、伝統を受け継いだマドリッド人、宵越しの金は持たないキリギリスさんなのでした。キリギリスなんだけど、スペインの底力は、休みも取るし、外食もする、旅行もエンジョイという輩が結構います。一生働かないでもなんとかなる人が、結構いるという事実がスペインにはあります。まだまだ伯爵や貴族の称号が、現に存在するスペインは、誠にもって底力があります。代々受け継いだ財があるからなのでしょう。それと相続税が、ほとんどないという事実も後押ししているのかもしれません。
 日本で騒いでいる例えば外国人が、不動産をゲットするという危機感は、確かにこのスペインでもあります。マドリッドの高級住宅街のマンションは、中国人、ベネズエラ人、メキシコ人に買いまくられて、確かに日本でいう民泊が好き勝手にやられているし、アンダルシアという海岸沿いのビユーのいい所は、ロシアのマフィアや北欧の小金持ちが、買いまくっているし、商売にしてもよくわからない中国人が実は、店には出てこないけどオーナーだったリ,お金オンリーは、世界中どこに行っても同じかもしれません。
ここの首相も、中国と妙に仲が良く、コロナの頃、中国製のマスクの商売を家族がやって、バカバカ儲けたという噂もまんざら嘘でもないみたいです。全体的に今の政府は労働党なんだけれども、賄賂は、日常茶飯事だし、かといって、右の国民党にリーダーはいるかというとそれも疑問だし誠に混とんとしている事実は確かにあります。
 ヨーロッパのどの国も移民問題で、アップアップは、事実のようです。ただヨーロッパは大陸です。日本のような吹き溜まりではありません。日本は単一民族で、日本中どこに行っても日本語が通用します。ここが利点でもあり欠点でもあります。日本人の外人という言葉は、主に白人を指しています。アジア人も外人ですが、特に韓国人、中国人も外人なんですが、ちょっとニュアンスが違うのは、40歳以上の純の日本人なら理解できると思います。ヨーロッパで移民問題は、失敗しました。確実に失敗です。今侃々諤々の日本は、難しい時期にあります。こんなこともあり、国籍純日本のおじさんが、今まで懐の深いスペインに満悦してきたんだけど、果たしてどこで朽ちようかと、閑散としたマドリッドで、ボケっとしながら試考中なのでした。
朝夕の涼しさに今更ながらマドリッドに乾杯。

2025年7月7日
by 小野田
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まだまだ死ねない

 毎年7月を迎えると、何とか今年も、耐えたかなーと一安心するのでした。12月31日は、一年の終わりで、これまた別の意味で身が引き締まります。この7月というのは、ヨーロッパのほとんどの国は、年次の終わりなので、学生さんも、仕事人も何とか耐え忍んだと一安心する季節なのでした。そして長い夏休みが、訪れるのでした。6月の終わりから9月の第2週までが学生さんのホリデイです。
 70年代、80年代に海外雄飛を夢見て、ソ連のアエロフロートやシベリア鉄道経由で、何かを求めて、金もないのに、フラフラと性懲りもなく北欧に辿り着き、スウエーデンあたりで、アルバイトをして,フリーセックスなんていう嘘の宣伝に踊らされて、皿洗いをして、お金を貯めて、南に南に南下して、辿り着いたのが、ピレネーを越えるとアフリカの地スペイン、そこの物価の安さと、人の好さに甘えて、浦島太郎の人生の人も、なんやかんやで、リタイヤの季節が来ました。こんな日本人結構多いみたいです。
青年よ荒野を目指せ、安く行くヨーロッパ、何でもかんでも見てやろうとか、もうたくさんのいい加減な本が出版されて、読んでいた時代の真っただ中にいたのが、中途半端な私たちの時代なのでした。三島由紀夫の割腹が、高校2年生だったのは、何故か忘れもしません。
 小生は、パリまでの韓国航空の飛行機の券を購入して、パリからは夜行列車があるという事で、計6人が、座れる、一室の空間の一人としてモロッコ人のおじさんおばさんの中に一人日本人が、お邪魔虫で入り込み、暑い、足が臭いの地獄の夜行列車を経験してマドリッドに辿り着いたのでした。
 あの頃は、日本円の価値がなく、誠に持って貧乏旅行でしたが、若いのが、金がないのは常識で、ひもじかったけど別に苦とも思わなかったし、むしろ楽しかった感が今でも自分の奥底に残っています。あの頃の一期一会、出会ってはサヨウナラの繰り返しは、結構勉強になったとは思ってますが、いいホテルに泊まって、いい食事をしては、あの頃は思ってなかったですね。苦が楽しかった時代でした。
 またバルセロナのランブラスで、針金で、自転車を造ったり、マラガの海岸で収集した石ころをきれいに磨いて、そこにエナメルのペンで、誕生日の星座を漢字で書いて、ペンダントを作って、路上で売っていた、自称ヒッピーさんも、今では、どこでしのいでいるのでしょう。
 そんな威勢の良かった長髪の薬草をコンサートで吸っていたおじさんたちも、今では、老人ホームで、スペイン人の小裕福さんと一緒に、お遊戯したりしている時代になりました。
 そうです一時代が、確かに終わろうとしています。
 また6月いっぱいで、MADRIDの北に位置して、一時代の黄金期を作った、レストラン帝(みかど)が55年の歴史に幕を閉じました。造り(内装)にお金をかけたレストランで、一頃は、スペインの各界の有名人が、ここにくれば、いつでも見られるほどのパパラッチの集合ポイントでもありました。時代の流れの一言で、解決できないほど、走馬灯は尾を引くのでした。武漢ウイリスの2年間に及ぶ大嵐が、トリガーなんですが、やはり時代の流れの一言で、解決しちゃうのがベターなんでしょうか。
 今では、外国で暮らしたいなんて考える若者が減って、ワーキングビザで来て、適当にやって適当に時間をつぶす類が多くなって、日本の若者も価値観が変わって、面白くない人間が増えたみたいだけど、人それぞれ勝手にやればいいという考えの小生なので、それはそれでいいとして、アメリカの属国と言われた時代を経て、今度は、中国に乗っ取られるぞーと騒ぐ日本になり。外から見ているとハラハラドキドキ、外から日本を見ていると売国奴の国会議員さんがはびこる世の中、まだまだ感傷につかるのは早すぎるぜ。野次馬根性で、もうちょっと世の中の移り変わりを見届けようと思う今日この頃なのでした。