教えのルール パート 3

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ヨーロッパで指圧の講習会を2002年より10年間、日本指圧専門学校の御配慮により年一回選抜された先生方に日本からきていただきヨーロッパの各都市で定期的に開催してきました。大成功の裏側をぶっちゃけちゃうと、教える側と教えてもらう側の期待感の溝があります。それでは日本からの招待パネラーとこちらの参加者の決定的な溝とはなんでしょうか。まず最初にスペイン人が考えることは、新しいことを教わりたい、もしまた基礎編をやるのなら辞退するということを真っ先に考え、そしてためらいもなく主張します。日本側は基礎ができていないのに前に進むことができないと基礎編を主張します。そこで仲介の小野田がしゃしゃり出て、それでは半日は基礎、午後に応用と溝を埋めてシャンシャン、そして何となくOKの進行になります。

 基礎力の大事さは、お互いが承知したことです。反復の力が応用です。10人のスペイン人が出席すれば基礎の大事さが2人ぐらいは理解していると思います。しかし後の8人は新しいものが教わりたいのです。これがスペイン人の気質です。ラテンの血が流れる一般人の気質です。フランス人は10人のうち4人かもしれません。ドイツ人は10人のうち5人かもしれません。これが長い歴史が生んだ各国の国民に対するファーストインスピレーション(印象論)です。日本人は10人のうち7人ぐらいと解釈すればOKですかね。西洋人は基礎力の大事さを忘れ勝ちですが、日本人と比べて決定的な長所は型にこだわらない自由な発想です。創作の世界で指圧を見れば彼らの発想に学ぶところがたくさんあります。

 基礎の大事さを型を覚える大事さと勘違いする日本人の先生がいます。指圧師の手は、指は、大きさ、長さ、厚み、弾力感 感触すべて異なります。指圧の理想的な指は浪越徳治郎先生の親指に代表されるような指ですが指圧師の何人がそれを所有していますか。ほんの一握りのはずです。

 この頃は日本のプロ野球の選手も自由なフォームでアメリカの選手のように打撃をするようになりましたが、ちょっと前までは型の世界でした。コーチが型を単一的に教えていたのです。この傾向は日本の芸術、職人の世界に今も生きています。型にこだわる教えが良い。型にとらわれない教えが良い。このことを今議論しているのではありません。これが半日が基礎で半日が応用の意味なのです。落としどころですね。この両者の良いところをブレンドして教えのルールにしようということです。

私は25年ほど趣味を兼ねてダンスをやっています。ソーシャルダンスから初めて今はラテンのダンスであるサルサ、バチャタ、キゾンバ この辺のところを週2回ほど治療が終わる9時の最終患者さんをお送りした後に車でダンスアカデミーに直行です。毎年 初級、中級、上級、プロと上がっていけばとっくにすごろくの如くあがっています。しかし毎年レベル3位のクラスに収まり楽しんでいます。なんで茂はいつも低いクラスにいて満足しているのかといつも不思議がられました。私はプロになるわけでもなく、クラスにいち生徒として入り生徒の立場(目線)で先生の教え方を学ぶことと、同じ型を何百回いや何千回やることによりミクロの中にある技の向上を考えているのでそれで満足なのですが、どうも理解されないようです。結構ダンスの先生はみな個性がありますので勉強になります。笑わせながら教えるタイプ、自分の教えに酔っちゃうタイプ、えこひいき美人一辺倒タイプ、まー個性のぶつかり合いです。私はスペイン人のわがままに教えるタイプが好きですね。自分に合った先生を選べばよいわけですから。

こんな訳で1年生に指圧のバイブルとして浪越の基本操作を徹底して教えます。2年生になると西洋人の体(骨格、構造、気質、環境)を考慮した当学院独自の指圧理論(阿是指圧)を教えています。3年生は応用臨床、4年生は実践と指圧の道は続くのです。

 

 

2 Comments

  1. ダンス!いいですねぇ、私も大好きです
    習いたいと思いながら、歳月は流れていきました
    今度生まれてきた時は、絶対やります!!

    • やりたいと思ったら実行です。自分の娘より若い人とクラスで練習できるなんて、楽しいですよ。

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