ヨーロッパは、日本人が考える以上に空手、剣道、柔道、はては忍者さんまでが、武術の一つとしてれっきとしたメニューの中に入っています。何を仰がれるのか、はては香取流なんて言われても、なんだなんだで、私の世界に入っていなかった日本の落とし物を見る思いがします。そんなスペイン人が時々指圧の世界に舞い込んできます。初めのうちは、控えめでいいのですが、こんな輩に限ってなめた野郎が目につきます。なめた野郎とは、武道と指圧をいっしょくたに考えて押忍の世界でやっちゃうんです。指圧は医道です。武道と何の関係もありません。すごい繊細な仕事なんです。
昔、食えなくなった柔道を教える日本人のおっさんが柔道じゃ飯が食えなくなり、ヴィデオかなんか日本から取り寄せ、ちゃっかり覚えちゃってそれで教えている輩が昔いました。私がスペインで売り出し始めたら消えましたね。そんなみも知らずのおっさんに、あーあのマドリッドの小野田か、あれは俺の弟子だよと言われ続けた時代もありましたね。
武道を習った生徒は、腰が据わっていいのですが、強押しイコール指圧だと思っている人が多いのです。我慢比べと勘違いしています。それと俺は武道やっているんだからこの世界も簡単、なんて言った勘違いが妙に目立ち、他の生徒との違和感が浮き出てくるのです。はっきり言って気が散って飛ばなくなり悲しいクラスになるのです。
それでもセンスとしては、合気道のような関節技を教える武道は手技療法を理解しやすい位置にいますね。忍者はいけません。忍者を習っているという生徒も以前いましたがいつの間にか消えましたね。
本当は何もその関係の勉強をしたことがなく白紙の状態で入門する生徒が一番です。下手な手技を以前かじった奴ほど先入観があり、新しい物を拒否しがちなのです。学生の頃、私達の担任だった浪越満都子(浪越徹先生の奥様)先生がみなさん、私は、あなた方一年生を教えるにあたり重大な責任感と最大の名誉を感じますと感動を表面に押し出し、私たちに訴えかけた姿をつい最近のように思う出します。今その言葉の重みを指圧の寺子屋を営む自分には折あるごとにひしひしと感じます。
さらの紙に色を塗るんですから、重大そのものですよね。前回述べた師匠選びの運が、ここにもあるわけです。
付け足すと武道をやっているから日本人の心が理解できるかというと、これは別物で、心はぱっぱらのスペイン人です。そこまで期待しちゃ、かわいそうですよ、そこまで信じちゃ裏切られた時、倍返しにさびしいので適当に。