往生際

| 2 Comments

、84年の6月に確か大韓航空で、成田からパリまで行って、パリで夜になるのを待って,TALGOというパリからMadridまでの夜行列車を使ってスペインの都に早朝到着し、なんやかんやでスペイン生活が始まったのでした。列車がMadridに近づくと、こげ茶色の大地に真っ赤なけしの花が咲き乱れていたのを今でも覚えています。アマポーレでしたっけ。

 お袋さんもまさかこんなに長くスペインにいるとは思ってなくて、国民年金を払ってくれていたようです。20年払って、最低限の保証があるということで払うのをやめたわけですが、この年金が、あと3年もすると有効になるとは正直思っていませんでした。まさに光陰矢の如しです。お袋も最初のころはよく手紙をくれて、いつ帰ってくるんだいと書き連ねてきましたが、さすがに今は、どうすんだいの一言で終わりです。どうすんだいの言葉がまさに、身に染みる年になりました。
 江藤さんという公的文書の翻訳家が、長年のお仕事におさらばして、バレンシアというMadridから300㎞程の海岸沿いの都市に引っ越して、リタイア生活に入りました。年金で生活します宣言をして、潔く一戦から後退しました。こんだけ仕事をしたんだからもうやらない宣言です。なかなか日本人はできません。ぼちぼち翻訳をやればそれなりに稼げる人なのに仕事やりません宣言です。うらやましい限りです。
 私の商売は、60歳になってもまだまだ後がつかえてなかなかマスターにはなれません。息の長い商売です。生涯現役宣言をしてダラダラやればそれだけ食っていけるわけですが、歯なしになって、患者さんを指圧してて、一緒に眠ってしまう志村けんの世界になってしまうのが少々、怖い気もします。指を使っているので、ボケは少ないようですが、意外に心臓に負担をかけるようですこの商売、すなわち気が上昇しやすい姿勢での毎日の施術ですので、治療中、指圧をしている姿勢で、ころっと逝ってしまった、大先生を何人も知っています。
そんなこともあってか,週3回指圧を受けて、日々に立ち向かっている私でさえ、いつ何時、何が起こるかわかりません。私の大好きな俳優、渡瀬恒彦さんも70ちょっとで逝ってしまいました。どういうわけか、私は渡哲也より数倍うまい俳優と思っています。
 60の還暦を過ぎて死ねば、マー生き急いだわね、惜しい人をと言われ得るかもしれません。しかしながら一週間もすれば、みんな忘れて、自分の生活で目一杯が正直なところのようです。生き急ぎなんかないのです。寿命なのです。5歳で逝っても5歳の一生があるのだそうです。未練はあるけど後悔はないねと死に際に言えるだろうか、言えません。死にたくないよーお母さんと泣き叫ぶのかもしれません。
 往生際の悪い大住職がいたと聞いたことがありますが.丹波哲郎曰く、死ぬことは全然怖くありません。死んだ後、楽しい世界が待っています。人間は死ぬ間際、ものすごい量のハピネスホルモンを出して思わずよだれをたらしゃうんだそうです。
 因みに、私のお袋さん94歳になっても一人でスーパーマーケットに買い物に行って、食事を一人でまかなっちゃうんだそうです。土曜日はDAYサービスで頑張ってっるらしいし一安心です。
  ここまで行ったら100歳まで頑張ってもらいたいものです。転ぶことさえ気を付ければ、100歳まで軽そうです。

2 Comments

  1. 先生のお母様、凄いですね!
    元気に年を重ねていけることは理想ですよね!

    そして母親の愛を感じます。

    指圧師あるあるで、いつが引き際になるのやらですね。
    定年がないのは良いけれど、なければないでどうしましょう?の世界ですよね。

    先生にはまだまだ引いていただいては困りますので、ご自愛いただきながらよろしくお願い致しますm(__)m

    • 世代交代は、早めにやることです。指圧師も定年を決めて潔くリタイヤが理想ですね。若い指圧師が、育つ土壌を作るべきですね。どん詰まりは、業界を衰退させます。

コメントを残す

Required fields are marked *.