指導者とは パート1

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 つくづく思うことは、指導者の良し悪しが、すべてを決定するという、至極単純な当たり前のことが実は、あまりなされていない世の中だということです。30年ヨーロッパにいて、たかがの部類の指圧を普及しています。最初に指圧をアメリカで教えたのが、増永静人先生という偉大な指圧の先生です。ただ志途中で、癌のために増永先生は57歳で他界しました。その時に、現地ニューヨークでお手伝いしてたのが、大橋さんという人でした。増永先生亡き後、大橋さんは、禅指圧という本を増永先生との共著として出版しました。その英語訳の本を引っ提げてヨーロッパに乗り込んだのでした。そのころ流行りつつ東洋の神秘の気という訳のわからない手かざしを大いに宣伝してあっという間に指圧という言葉を売り歩きました。その引き金が、瞬く間にヨーロッパの大空にただただ飛んで行ってしまったのです。

その人、今でもヨーロッパにセミナーに来ますので、まったくもってビッグな先生なんだと思います。ただ真っ白な紙に、でたらめな文字を書くがごとし、これが指圧ですと真顔で売りまくったのですから商魂は確かにあったんだと思います。
 今でも、増永先生との過去の歴史は、さすがに一切言わずに、触れずに、OOHASHIATSUというプランドで指圧を売りまくっています。日本では、ほとんど無名ですが、アメリカ、ヨーロッパでは、指圧業界ではかなり知られています。私は、会ったことはありませんが、私も結構、招待されてヨーロッパでは、顔を売ってますので、おそらく名前だけは、お互い知っているんだと思います。
 ただ一つだけ胸を張って言えることは、私はセミナーで食っているのではなく治療で食っているということです。世にセミナー屋はいっぱいいますが、私は月曜から金曜まで患者さんと向き合い、週末、セミナー出かけて日曜日の最終便のフライトで帰国し、月曜日からは通常に10時から患者さんを診ます。休む暇などなく、過労死とは何だと、金にならない残業をしているわけです。ここだけは、サラリーマンには、できない芸当をやっているわけです。体だけは何とか持ちこたえていますが、週3回の指圧、週2回の鍼は、長年の習慣になっています。
 私が、来西したのが84年ですが、すでにイタリア、ドイツ、フランス当たりでは禅指圧が多いにブームで、浪越指圧なんて吹けば飛ぶようなマイナー集団でした。恐竜にやり一本で、戦うドンキホーテそのものでした。
実は私がスペインを選んだ理由は、適当に稼いで人生をエンジョイする地はここが一番と判断したからだったと思います。なんである時から仕事人間になったかは今でも全く持って分かりません。
おそらく嘘ばっかしの指圧を見て、これは俺の出番と勘違いしてしまったんだと思います。根は怠け者なんです。怠け者をいままで、操縦してきたうちの嫁さんが、実はお主も悪よのー、のお代官だったのかもしれません。

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