九ずの考察

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四、反省せず。
この反省せずは、いろいろな解釈があって、これが九ずなら私はクズなのかもしれません。物事がうまくいかなくて、なんでだろうと思うことは確かにあります。元々私の行動はまったくもって計画性が欠如したものです。私の人生、反省点を指摘して次の機会に備えるということはまったくもってしたことがありません。

 指圧の外国セミナーでも、流れを見てどんどんテーマを変えますので、イタリア、スペイン(パッションの国)の講習はおおむねうまくいくのですが、前もって原稿を用意しろと言ってくる、ドイツ、オランダ(理論優先国)での講習はいつも冷や汗ものがほとんどです。

 頭の構造が、今現在優先の頭を持った人と、過去を述べだしたら10年前の出来事まで正確に話す人と、両極端の人がいると思うのですが、私はまったくもって前者です。ボケの前兆か、まったく過去を語れません。未だに、自分の身分証明書の番号、携帯の電話番号、まったく覚えていません。カードの暗証番号さえも、私の側近のほうが、覚えていて、まったくもってお恥ずかしい限りです。
 それでも、治療と指圧の理論作りは、好きなので、この辺のセクションは、性懲りもなくコツコツとやっています。要は自分の興味のあることしか、念頭にないの一言で解決できる、超単純な頭の持ち主みたいです。気に入りの人、嫌いな人が、単純に態度でわかるんだそうです。ブスには声もかけない、歯牙にもかけないモードが極端なんだそうです。自分では、そう思っていないんですが、院長の患者さんの好き層、嫌い層の偏りは、単純明快だといつもスタッフに言われます。
 ブスだって心が良い子はいっぱいいます。そのくらいの区別はつきますよといつもスタッフにいうのですが,はいはいと生返事でこの会話はいつも終了です。この辺のことは確かに反省せずの九ずそのものです。
 性懲りもなくとよく言いますが、この言葉は、確かに人生も第四コーナーを迎えると胸にドンと来る言葉です。あの時、こうしたら、あの時我慢したら、あの時もっと機転を利かしたら、なんて思う時が時々ありますが、すべての過去はもう絶対に帰ってきません。運命のいたずらで、生かされているのが、私たちです。
 魔が差したとか、人生いろいろあります。ただ一つ言えることは、反省してもしなくても運命というものがあります。逆らえない何かが必ず私たちに付きまとっています。徳を積んでも癌でいっちゃう人もいます。でも一番の不幸は、爺になって、運悪く金ごまかしてたのがばれて、裁判沙汰になったり、車で人をひいちゃったり、人生最後で、急転直下、不幸になる人がいます。金も要らない、地位も要らない、ただただ晩年は、ストレス抜きで、コロッと逝きたいものです。反省なんかするもんか、でもでも晩年は、笑顔の絶えない孝行爺を演出したいものです。

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