余生の付録に乾杯

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学生終わって、みんな地方に帰り、家業を継いで若旦那、そんな感じのクラスメートが多かったので、残った自分は、ああでもないこうでもないと、とりあえずバルセロナに行ってフラフラ漂って、これはいけると蚤の市で、ガラクタ買っては日本に送って、これ受けるよと一人合点して捕らぬ狸の皮算用なんかしてボケてたあの頃、たまたま本屋で浪越徳治郎先生のスペイン語で翻訳された指圧の本を手に入れて、暇なもんで、訳していくと、これ面白いなと閃いて、さっそく日本に帰って、日本指圧専門学校の資料を請求してこれいいねと一人合点したのでした。

学生の時熱帯農業の実習で行った先で、腰痛にあい、日本に戻った時に確か、受けた治療が、指圧でした。実家の環境が、体が勝負の自営業でしたので、体への投資は、惜しげのないといった家庭環境だったようです。親父が背中にでっかいお灸の跡があったり、三里へのもぐさは効くよー、なんていう会話が普通だったので、ふと手にした浪越徳治郎先生の本は運命の分かれ目だったようです。
 何やかやで、日本指圧専門学校に入って本当に学生生活を2回程楽しんじゃったのでした。スペインに来たのが、84年ですので丸々33年の歳月が流れました。
年賀状だけは、出してたんですが、約40年ぶりに大学時代のクラスメートが、イギリスに来るということで、そんならスペインにもよれよということで、彼と奥様がマドリッドに来たのでした。恰幅が良くなっていましたが、確かに面影があります。奇跡の再会でした。福井の何代も続いた味噌と醤油の醸造元の大将なんだけど、彼もまた40年間親父から受け継いだであろう味噌屋を維持して海外に何十トンという、バイオの味噌を出して、その市場がヨーロッパで拡大傾向にあるので、そのことを実際に彼自身の目で確かめたいということで、イギリスそしてオランダの会社の招待で来たみたいです。
学生の頃、彼も旅行が好きで、実家から仕送りがあるだろうに、居酒屋でバイトをしては、アジアの国々をフラフラしていた同類項なのでした。彼と一緒に旅行はしたことはありませんが、いつも講義は最後列、私ももちろん最後列、べたべたの付き合いではなく何か同じ匂いを放つことで、気が合った友だったようです。久しぶりに会っても、話すのは私ばっかしで、うなずいては、ここで会うとわなーと何回も一人笑いしてました。別に商談の相手との会話ではないので、お互い何もしゃべらずにぼーっとしてても、なんの気まずさもないところが、いいんだと思います。バルセロナを見たいということで再会が1日だけでしたが、奇跡に感謝するとともに運命の糸ってあるんだなーと感じ入った次第です。こいつとは一度会いたいと思っていましたので、叶うのですね。10回口に出すのが叶うだと芸人がほざいていたなー。
 お土産が振るってて、ジョニ赤とマルボロ、確かに学生の頃マルボロ吸ってジョニ赤のストレート、はらぺこの胃をいじめた日を思い出させてくれました。さすがにタバコと酒はやめたよとは言えませんでした。彼も両方卒業してるみたいでしたが。
 今日を生きていれば、またこんな機会があるかもしれません。こんな機会のために体を鍛えようと一瞬思いました。果たして程よく老いてゆくことの難しさを感じて、いい顔つくりに励もうとも、思った次第です。どちらにしても余生は付録の年になりましたので、後輩の育成に力を入れようかとも思っている次第です。

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