人を育てるとは

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チョットした機会で、知り合い、この人すごい人だなーとパワーを感じて、毎年12月の恒例で、カレンダーを送らせてもらったら、丁寧にカレンダーが届いたと電話がかかってきました。昨日のことなんですけど、40分ぐらい電話にてお話を伺い、2017年の最後に、またまたいい話を伺ったと一人満足している私なのでした。

 その人は、フランスで衣を構えて何十年、少林寺拳法の大先生、青坂先生なんです。小生、ここ数年、人付き合いが、妙にめんどくさくなって、できるだけ公の場に出るのを遠慮気味の日々なんですが、たまたま知り合いが、少林寺の講習会がマドリッドであるんですけど、見に来ませんかという誘いに、妙に興味をそそられて、とある体育館に見に行ったのです。そこに背中のピンと張った白髪の師範が柔軟体操をしていたんです。柔らかいこと柔らかいこと、乱取りを拝見、すごい切れ技で、スピード感があり本物の一言でした。
 昔、少々たしなんだ程度なんですが、格闘技が好きで,K1の大ファンで、嫁さんは、なんでこんな残酷なものが好きなんだと私がK1を見だすと、すぐに自分の部屋に退散で、マー会話のない夫婦生活はこの辺からきているのかと妙に反省をしているこの頃なのでした。本能の殴り合い、気力の勝負。ワクワクしますよね。
 昨日は、先生の在り方を講義してもらったのですが、君ねー、すべてが中途半端な世の中で、教えることに関していうと先生が自信がないんだなー。自信をもって、責任をもって教えれば、今の若者、意外と真剣になって目の色変えて教わることの尊さを理解するんだが、教える方が、パッションがないから、誰もついてこないんだよ。
 例えばさー、体に優しい指圧がいいか、ちょっとぐらい痛くても、施術者の意気込みが伝わる指圧、どちらがいいかねー。病は気から、気持ちが伝わらない指圧なんて意味がないだろ。昔はいろんな、くせ者の指圧師がいただろ。その曲者に体を預ける、偏屈親父がまたいたんだなー。皆、個性の塊が光り輝く指圧師集団だったのじゃないかい。
 だからそれなりに、ファンがついていたんでしょ。今の世の中、危ないことはダメ、なんでもかんでも、問題を起こさない、問題を起こさないためには、無難な対応でしのぐ、自分の首など賭けません。facebookで食い物の投稿をしてれば、無難と思っている奴がたくさんいるでしょ。世の中、そんなやつばっかりでしょ。つまんない奴ばっかし増えてますよねー。(まったく同感。)
 格闘技の世界でも、どこの世界でも同じ、中途半端に教えるから、中途半端な半プロが、のさばる世の中になってしまったのです。君は、スペインでやっているんだから、好きなようにお弟子さんを育てればいいんだよ。味のあるプロを育てなさい。(感動。)
 PTAがのさばる世の中、先生の自信もさることながら、いいこと悪いことが、すぐに拡散する世の中、出る杭は打たれる、そんな世の中が悪いのかもしれませんが。
 手に職を持つ世界の人間ぐらい,生きたいように生きれる、世の中じゃなければ、サラリーマンと同じじゃないと嘆きたいのですが、指圧の世界も独り立ちは難しい時代になっていると答えると、先生が一言、間髪も入れず、例外があってもいいんじゃないと明るく答えが返ってきました。沢山の人生訓をいただき、最後にごきげんようといわれて電話での会話が終了しました。
 ありがとうございました、と一人頭を下げ、よっしゃ、2018は、ガンガンやるぞーとカラ元気を妙に響かせ、年末の一日が終了しました。

2 Comments

  1. 「例外があってもいいんじゃないの」。いい言葉ですね。
    ブログ毎回拝読しています。来年もすてきな文章を楽しみにしています。
    よいお年を。

  2. 意識すると書けなくなります。素人は、好き勝手につづるのが一番いいみたいです。よいお年を御迎えください。ありがとプございます。

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