迷ったらGOの巻

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 娘が、3月の初めにアフリカのギネアという昔ポルトガルの植民地だった国から半年ぶりに帰ってきました。国境のない医師団とかいうボランティアの団体に所属して、その派遣の医師として半年ほど行って、無事任期を全うしてご帰還ということらしいのでした。

らしいのでしたというこのあいまいさが、私と娘の関係らしく、パパも好きでスペインに来たわけで、私も好きでアフリカに行くんだと言われれば、はいおっしゃる通りというしかないので、この辺が、妙にあいまいな親子の関係なのでした。ギネアの人たちは、白人のぶよぶよの身体じゃないの男も女もほれぼれする、体の持ち主なのといわれると運動不足のお父さんは,ハイそうなんだとうなずくしかないのでした。彼女は純粋な日本人で浅黒い皮膚なんですが、白人のあいのこぐらいに言われるほど、やはりアフリカの人たちは、黒いんだそうです。黒い人たちが、超蒸し暑い気候の中で汗を流して仕事をする姿は、美しんだそうです。なんかよくわからない娘の理論に何一つ逆らわずに、あいずちを打つおじさんは、やはり娘に超甘い超普通のおじさんなのでした。
 日本の窮屈さを嫌い、ここにいるおじさんですが、娘の無鉄砲には、実際ハラハラの連続です。モザンビーク、南アフリカ、そしてギネアとドサ周りを消化してきた猛者なのでした。
 小児科医でありアフリカのいい加減な設備と育児出産計画のずさんな現状を想像してこんな現場で、続々とテクテク現れる患者さんの数をこなすのもいい経験かなと打算的に見るおじさんが一方にいて、この経験がこれから先の医の道に生かせるのであれば、そいつもいいんじゃないかと妙にプラスプラスに解釈をするのも本音なのでした。
妊婦の無知、衣食足りて礼節を、、、、が現状で、結構妊婦さんの死、乳児の死を当たり前のように見たと平気でしゃべる娘をやるジャンと内心思うのも事実なのでした。きれいごとではなく、実は、その国の政治が問題なんですが、まだまだ経験未熟な小児科医は、ただただ鞭打って汗かいて、無理して涙を隠してその日を生きることを黙々と消化する日々が一人前になるために必要であると,いなあったということが今は判らなくても、ゆくゆくわかって、きさえすればいいのかなーと思う母心のおじさんもここにいるのでした。
 実際、医者は超おりこうさんではだめ、かといって全くのバカでは話にならないが私の哲学で、テクノロジーに頼った医学は,1割の超エリートな医師がやればよし、あとの医師は、患者さんに対して手当てを施すこと、これが医の道と考えているのです。患者さんに手当てする、患者さんに全身全霊の手をもって接触する、患者さんの目線で診断する。これなんかは常識の医道と思っているわけです。スペインの医学に従事する人って結構そんな人が多いみたいですよ。
 私は、こんな感じで適当なんですが、私の嫁さんは、とんでもないことです。しょっちゅう、娘に一言言ってください、のこの言葉の連発なんですが、いいんじゃないの一言でいつも終わっいてしまうのでした。所が昨日、来週パパ、バングラデッシュに3か月行くから、だってミャンマー人が、バングラデッシュの国境にある難民キャンプにあふれかえって避難の子供も増えて小児科医が足りないので、オーファーが来たのと、イケシャーシャーと言うのでした。そしてママに言っといてのダブルパンチです。
 マーいいんじゃないの一言で会話は、終了なのですが、今日の夕飯時は、きっと一波乱あるだろうと予測するとまさに食欲減退のおじさんなのでした。

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