逃げまくれ、そして生きろ。

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1974年に加川良という歌手が、教訓一という歌を発表しています。あの頃は、ジョンバエズとかブラザースフォーそうあの辺が、ベトナム戦争の反戦歌などを世に送っていた時です。私は、ちょうど、中学を出て、高校で部活に精を出していた頃だったと思います。三島由紀夫の自衛隊駐屯基地での割腹事件が,高校2年生だったからあの辺、すなわちニキビ顔の純情青年で、女子高の文化祭に呼ばれもしないのに友達2,3人とあてもなく出かけて行ったそうあの頃です。

歌詞は、命は一つ人生は一回だから命は捨てないようにね。慌てるとついフラフラとお国のためなどといわれるとね。青くなってしり込みなさい。逃げなさい。隠れなさい。お国は、僕たち死んだとて後々まで残りますよね。失礼したで終わるだけ命のスペアはありませんよ。青くなってしり込みなさい。逃げなさい。隠れなさい。こんな歌詞の歌です。もちろん反戦歌なんですが、世の中は、お国のためにと、意気込む青年を英雄扱いして、戦争を正当化させて、若者を爺が決めた法案をもって死なせる世の中を皮肉っているわけです。結構印象のある歌だったことを覚えています。

鶴田浩二の同期の桜等の戦争を美化した歌とは、まったくもって対極的な歌なのでした。靖国神社で永眠するか、逃げまくって生き延びるか、この辺が問われるところなんでしょうが、今ソ連とウクライナの紛争がガンガン報道ニュースで流れていて、ウクライナの若い大学生が、インタビューで国のために銃を持って戦うと笑顔を浮かべて言い切る姿が報道されています。20歳そこらの若者が、自国の国難を見て奮起する勇ましい青年がまたまた勇ましく答えているわけです。もちろん日本の若いお兄ちゃんには、到底言えない言葉です。何年か前、指圧の講習で、イスラエルに行った時に、自国イスラエルの徴兵制のことを聞かされて、徴兵に行き、そのあとに大学に復帰して、自らの目標に向けて動き出すんだと夕食会で、希望に燃えて話していたイスラエルの指圧の生徒を思い出したのでした。もちろんへなちょこ日本の若いお兄ちゃんを不甲斐ないと思ったわけでした。

しかしいろんな角度から、判断できる時代になりました。ちょっと前だったらウクライナの若者の生き様を間違いなく称賛する自分がいるだろうと思います。しかし日本の今のぼんくら首相を見ていると、あんな爺様の下を見ながら棒読みするトップが決めたことに従いお国のためと命を懸けて戦うことが、イエスなのか,ノーなのか、確かに判断に迷うであろう自分を見つけたのでした。

シリアあたりの傭兵にしても、ソ連の兵隊さんにしても、実は、仕事がなく仕方なく兵隊さんになった人が、少なからずいるとの報道を聞いて、昔の東北の農家の次男、三男坊が、糧を求めて兵隊さんになった時代と何ら変わらない訳です。一握りのトップの野望のために若い命が、簡単に散ってしまうのは、誠に持って寂しいことです。

おいしい商売の軍事産業界の暗躍、ほんの一握りの国のトップのエゴ、誠に持ってほんの一握りの醜い豚野郎のお遊びに、付き合わされている一市民は、誠に持って迷惑千万な訳です。

そんなことを考えると、臆病でもだらしないでも、女の腐ったのといわれてもいいから、逃げまくって生きた方がいいという結論に達したのですが、どうでしょうか。。今は何しろ生き抜くぞーというウクライナの臆病な若者を私は、陰ながら応援したいと思っています。臆病が、当たり前、怖いが当たり前なんだから慎重に生き延びることだけを考えて行動してください。死んだ人に指圧は効きません。

3 Comments

  1. 徴兵制というと思い出します、1971年のポルトガルの夜行列車での会話を。マドリドからリスボンに向かっていた時に、徴兵されてギネアに派遣されるという青年との会話でした。日本には徴兵制度はあるのかと聞かれ、いやありませんと答えたときの何ともうらやましそうな表情を。
    今TVでシュワルツエネッガーのプーチンとロシア人に対する言葉が、紹介されました。正に其の通りです!

    • そういえば、スペインも徴兵制がありましたね。平和ボケもいけませんが、お国のためも死語になりつつあるようです。お元気で何よりです。

  2. そうだなあ、70年代前半のフランコ時代には確かに存在していた。ポルトガルのカーネーション革命が74年で、翌75年暮れに彼が死んで独裁政治が終わったのだ。

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