日本ブームの嵐が、世界中で湧きおこっています。スペインもヨーロッパの国々同様に漫画世代の若者が、漫画ストーリーの主人公のコスチュームを着て、会場を歩き回り、その世界の主人公になりきって、一日を大いに楽しむといったお祭りイベントが、スペインの大・中都市で、頻繁に開催されています。
マドリッドのこのイベント(ジャパンウイークエンド)は、スペインで一番規模が大きく、また歴史も一番古いので、通常2日間で,約6万人が入場するとのことです。
こんな中、イベントの大会実行委員会が、スペイン日本人会とタイアップして、会場の一角に盆踊りのやぐらを設けてみんなで踊ろうという企画が2、3年前から実施されています。
大変好評という事で、今年も漫画の主人公のコスチュームを楽しむスペイン人の若者と浴衣を着た日本人が、踊らにゃソンソンという事で、この大会が実施されました。
そんな中、スペイン日本人会からのご招待で、指圧のブースを日西指圧学院が頂き、日本の文化である指圧の宣伝を兼ねて、スタッフと旧生徒が、9月21日22日の両日MADRIDの郊外にあるIFEMAという超ビッグなイベント会場で、未来の指圧ファンである若者に、大いに指圧の宣伝をさせていただきました。
今指圧という言葉は、ヨーロッパにおいては、だいぶ知れ渡っています。
浪越指圧のヨーロッパの歴史は、オランダのビンクス先生、イタリアのパロンビーニ先生が、浪越指圧を1964年の東京オリンピックの前後に来日して、直接、徹先生、徳治郎先生に習ったのが始まりと言われています。
その他には、小林秋朝先生、徹先生、徳治郎先生が、パリのエスティシャン協会と理学療法の団体の招待でパリに赴きセミナーを何回も開催したことが、浪越指圧のヨーロッパ進出の始まりです。
同時期にやはり、日本指圧専門学校の教師として、働いていた増永静人先生がアメリカ、主にニューヨークで自らの指導の下、セミナーを何回か開催して、アメリカ本土に指圧を普及しました。所が、まもなく不幸にも、志半ばで癌を患い死去しました。
後に、通訳としてお手伝いをしていた大橋渉先生が、禅指圧という名前を命名して、ヨーロッパで普及させて、大いに広めました。後にOOHASHIATSU というネーミングを付けて、たびたびヨーロッパにて講習会を開いています。
禅指圧というネームで指圧を広めた大橋先生は、90年代8割方の指圧関係者が、禅指圧を習っていたとも言われているほど影響力を持っていました。
この時代は、第一時期ヨーロッパ指圧ブームともいわれています。
このバブルで浮かれていた2000年代は、浪越指圧を前面に出して、戦っていた私の歴史でもあります。
岸先生(癌にて死去)の整気指圧、遠藤先生のタオ指圧、オランダの宮本先生、宮下先生、イタリアの佐々木健一先生(医王会)、フランスの渡邊先生(旧臼井)夫妻等が現役でヨーロッパ諸国で活躍しております。
主だったヨーロッパの指圧の指導者は、すべてが浪越の出身です。
他にもヨーロッパ以外では、バンクーバーの池永清先生、トロントの斎藤健泉先生、アメリカハワイ愛泉指圧学院(アメリカハワイ州マッサージ免許認定校)の因泥文彦先生等が、今でも現役で、徳治郎先生のスピリットを受け継いで浪越指圧の根を張り巡らすために孤軍奮闘しております。
当学院は、年に4回 老人ホーム、年に2回修道院に赴き指圧をボランティアしています。
しかし指圧の未来を考えるとこのような若者向けのイベントに積極的に参加して疲れ切った(スマホ、コンピューターの使用過多)若者に指圧を受けさせることにより指圧の良さを若年層に浸透させることを重点的にキャンペーンをしています。今回のイベントで2日間160人に座位指圧を施術しました。有料にもかかわらず沢山の若者が、指圧を堪能しました。
介護的(ご老人)要素の指圧が、日本では一般的ですが、お子様の指圧、妊婦の指圧、更年期前後のご婦人の指圧、美顔と全身の指圧(エステ)等、指圧の市場は無限です。予防医学の時代に指圧のニーズは、ヨーロッパにてますます増えるとこのイベントを通じてますます感じました。
塾SHIATSUPRACTOR 塾長 小野田茂