ここの所、日本からの来客者が目白押しで、明日も、高校時代からの長年の友の、娘がマドリッドの蚤の市(ガラクタ市)に行きたいというので、まあー暇だし、いいかーということで明日は予定ありの看板を出しました。嫁さんは、私は知らないモードを表示して無視体制ですので、これもまーいいかの行動でいこうと一人頷くおじさんなのでした。
骨董は、おじさんの得意中の得意で、はるか昔、バルセロナに遊学していたころ、これまた暇をもてあまして、バルセロナのエンカンテツという蚤の市(ガラクタ市)に年がら年中行き来して時間をつぶしていたものでした。おじさんは、骨董といっても値の張るものではなく、スペイン語で言うとcurioso(好奇心を駆り立てる、物好きな)な品物を買い捲ったのでした。年代もののコマーシャルポスター、これまた昔々のブリキ缶や箱、30年代のゴム製やセルロイドのお人形、まーありとあらゆる好奇心を煽る、興味のない人が見ればゴミを、せっせと買っては、狭い部屋をもっと狭くしていた時期がありました。
溜まると段ボール箱に詰め込んでは郵便局に行って、一番安い船便で日本まで送って喜んでいました。あるとき、ピアノラという、ペダルを足でせっせと踏み込んで音楽を奏でるピアノ(オルゴールの要領でぶつぶつと穴の開いた巻物)の楽譜が500巻ほど出たんです。なぜかなぜかの衝動買いでgetしました。
それをせっせと日本に送ったわけです。日本のお袋、親父送ってきた段ボールをあけてぶつぶつの紙の巻物が500、段ボール箱15の船便、怒りを超えて、あきれたみたいです。その巻物、帰るたびに兄貴が、あの巻物ね、ずみがかじってぼろぼろだぞと言っていましたがそのたびに、一巻き5000円、もう少しおいといてと言い続けて40年が過ぎました。実家の物置には、ぼろぼろになった巻物が今でも眠っているらしいのですが、今では日本に帰っても誰も私に言わないということはふてちゃったのかも知れません。1年半のバルセロナの遊学も,自分のお金ハ、とっくに底をを付き、茂は何をやってるかという単純な親の疑問が、送金ストップの引き金になり、余儀なく帰国になりました。
私としては、日本に帰ったら原宿あたりの骨董屋で売りさばき小金をgetする算段大で帰りました。原宿の骨董屋にコンタクトを取り、商談。甘くない日本を実感。とぼとぼ帰宅。お兄ちゃんいいものもってるね。取っときなさい。いい思い出になるよ。骨董屋の一言で現実に帰った、おじさんは日本指圧専門学校に入るんですが、ここから勝算限りなくゼロの戦いが始まるのでした。
蚤の市 パート1
2015年9月19日 | 0 comments