バルセロナの時代は、学生の延長で日本の社会に出ても何をやっていいか解らないが本音でした。学生時代アルバイトは100パーセントこなせて、小野田君うちの会社で働く気ない、と可愛がってくれる担当の人に言われると、ここもそろそろおさらばの時期が来たかな、なんて思って、仕事を教えてくれて、覚えれば覚えるほど、かたじけなくてその職場をbaybayが、何回かありました。
もんもんの青春だったのかも知れません。バルセロナでは、海辺でアパートを借りて自炊したり、最後の半年は、お金の底が付き始めたので日本人が借りてるマンションの一部屋を借りて共同生活が始まりました。
千葉の晃さん、長崎のいそがわさん、そして私の3人の共同生活が始まりました。みんな物集めが好きで、晃さんは古い喫煙のためのパイプが好きで、いそがわさんは、写真家らしく古い写真機を集めていたと思います。
私は、そのころはサーカスのポスターとか、キューバ産の葉巻の箱集めに精を出したりして、夜、戦利品品評会をして、酒飲んで、タバコすって、楽しいんだけど、この先どうするんだろうという不安はみんな持っていたような気がします。
夜になると、3人でゴミ拾いが始まります。そのころは、古くなったマンションをリフォームする家(マンション)がたくさんあった時代で、いらなくなった家具や小物をゴミ捨て場においてゆく近所の住人が結構いたんです。
一時代前の皮の鞄とか、時代がかった家具、コートなど結構、おいてあるんです。それを、本職のもの拾いより早くいただくんです。そして家に帰り品評会です。時代がかった段ボール製の酒の宣伝ポスターなんか手に入れたらもうハッピーハッピーで、親が知ったら泣いちゃうような楽しみ方をしていた時代です。
あの晃さん、いそがわさん、もう何十年会ってないけど、俺と同じように邂逅しているのかな。でもあの無駄な時代があったから今があるんだと、寛大な親に感謝してるんですけど、好きなように生きろと息子たちに言い続ける自分は、息子たちに感謝されるときがあるんだろうか。人生一度、人に迷惑だけは、かけなさんなといい続けた親父の言葉は実践しているので、それでよしとしようか。