2015年11月18日
by 小野田
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悲しい世の中

移民(難民)として、裸一貫で新天地に夢を求めて今何十万人の人々がヨーロッパに押しかけています。
おそらく大半の人々はその国に根付き、やがて家族を核とした、より快適な生活を求めて心機一転希望に燃え動き出します。そしてその息子達、娘達が、その国で恋人を作りやがて結婚、そして新しいジェネレーションが形成されてゆきます。 続きを読む →

2015年11月9日
by 小野田
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年金と私

お袋が20年ほど国民年金を払ってくれていたので、ある程度の年になったら支給されるらしい。日本に今年の夏、帰った時に、駅前の年金の相談事務所に行って確かめたら外国在住なので、掛けた年数が20年でOKだそうです。 続きを読む →

2015年10月26日
by 小野田
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マラガの糞

マラガは、マドリッドから約550km離れたスペインの南に位置する寒い北国のヨーロッの人達の憧れのリゾート地です。一年中、外人がうようよしている町がほとんどで、観光立国の象徴のような地方都市です。 続きを読む →

2015年10月19日
by 小野田
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蚤の市パート7

バルセロナでふらふらしている時に、バルセロナの公立の語学学校に通っている時期がありました。後で考えるとスペイン語を覚えるのにカタルーニャにいたこと事態がやる気のなさの証明ですね。普通だったら、純粋なスペイン語を学びたいとサラマンカあたりに行くのが、語学学生の本流なんでしょうが。
 マドリッドにパリから夜行の列車で到着して、駅前の安ペンションにとりあえず、5月雨が降っていて、疎の上、歯が痛い、そして安スーツケースが、石畳をごろごろさせてペンションまでたどり着いたらもう滑車が壊れてぼろぼろ。最初からちょっとちょっとの連続でした。 続きを読む →

2015年10月10日
by 小野田
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安全対策(クワバラクワバラの編)

スペインは、カタルーニャ地方の独立とバスク地方の独立とで、特にエタというテロリスタ集団が軍人のお偉方を車に爆弾を仕掛けて殺したり、前々会の民衆等の党首アスナル首相の車に爆弾を仕掛けられて爆発したけれどアンチ爆弾の鉄板の張り巡らしたベンツ車だったために、かすり傷さえなく無事だった強運の首相がいたりして確かに身近にばんばん爆弾が炸裂した時代がありました。 続きを読む →

2015年10月3日
by 小野田
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蚤の市パート6

最初の4,5年(84年から90年)は、指圧稼業ものんびりしたもので、一日せいぜい4,5人治療すれば、はい今日はおしまいといった感じで、それでも何とか食っていけたあの時代は何だったのだろうと今でも時々、答えを出そうと奮闘しますが、、、、、答えが今でもさっぱり出ません。何しろいい時期だったんだと思われます。 続きを読む →

2015年9月27日
by 小野田
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蚤の市パート5

 84年6月、2回目ののスペイン入国,今度は、指圧をヨーロッパで普及させようじゃないかという大儀があります。心意気が違うのです。やる気満々なのです。そんなわけで日本を出国。超安航空券(大韓航空)でパリまで行って、パリから寝台列車でマドリッドに入りました。 続きを読む →

2015年9月22日
by 小野田
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蚤の市パート4

 再度のスペイン行きは、日本指圧専門学校を卒業して2年後のことです。1年半がバルセロナ、そしてマドリッドが84年からだから31年、結構人生の半分以上が外国暮らし、何でスペインなんですか、と良く聞かれます。 続きを読む →

2015年9月20日
by 小野田
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蚤の市パート3

バルセロナにいた頃、一番手っ取りはやい滞在許可証の取得は、学校に行くことでした。それも国か地方の自治体の下で経営されている公立学校の入学で得た学生証が一番有効ということは、誰もが考えることで、安い月謝払って学生証をもらって、学生ビザをGETして学校は行かない。 続きを読む →

2015年9月19日
by 小野田
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蚤の市パート2

バルセロナの時代は、学生の延長で日本の社会に出ても何をやっていいか解らないが本音でした。学生時代アルバイトは100パーセントこなせて、小野田君うちの会社で働く気ない、と可愛がってくれる担当の人に言われると、ここもそろそろおさらばの時期が来たかな、なんて思って、仕事を教えてくれて、覚えれば覚えるほど、かたじけなくてその職場をbaybayが、何回かありました。 続きを読む →